投稿者「名古屋演劇アーカイブ」のアーカイブ

橋本理沙 さん

こんにちは。
松野尾くんからバトンを受け取り・・・早1年、バトンを持ち続けていました橋本です。(関係者、制作者の皆さまごめんなさい。)
あれから1年。いつか終わるだろうと思っていた”コロナ禍”は未だ終わることなく続いていますが、色々なことがストップした1年前に比べると、世の中はそれなりに続いて、それなりに動いて、日常もそれなりに続いていて、なんだか不思議な感じです。
この1年は、人との関わりや文化芸術が生きていく上で必要なことだ、ということを改めて実感した年でした。
リモートや配信やその他いろんな繋がり方が出てきてそれも悪くはないけれど、やっぱりライブに勝るものはないですよね。

私が”演劇”と出会ったのは少し遅くて、ちょうど30歳になったくらいの頃。
20代の終わりに通っていたメイク学校で舞台メイク募集の張り紙を見つけて手を挙げたのがきっかけでした。
舞台メイクはまだ経験したことがないからという理由でしたが、これがきっかけとなってかれこれ15年くらい演劇の世界にどっぷりとはまり込んでいます。
舞台メイクとして福岡で細々とやっていく中で、バトンを回してくれた松野尾くんの所属する劇団”万能グローブガラパゴスダイナモス”(ガラパ)と出会い、もっと関わりたいと思うようになり、制作としてメンバーになったのが2008年の年末でした。
メイクで関わった公演の打ち上げか忘年会の席で
”(制作に求めるのは)もちろん経験のある人がいいんですけど、一番大事なのは劇団を一番愛してくれることです”という松野尾くんの言葉を聞いて
”劇団を愛しているということにおいては誰にも負けませんよ”と勢いよく名乗りを上げたのが全ての始まり。因みに、当時は制作がどういうことをする人なのか全く知りませんでした。

制作として劇団に所属してからは劇団の成長ともに丸8年、たくさんの経験をさせてもらいました。やることなすこと初めてのことばかりで劇団と現場に育ててもらったと思っています。
当時の私は企画書やリリースなんて作ったことがないしプレスのプの字も知りませんという状態で、当然色々な壁にぶち当たっては解決し、という形で前に進んでいた気がします。
もちろん、うまくいったことばかりではなく盛大な失敗も多々ありました。
ツアー公演の帰路で10人以上のメンバーの飛行機手配ミスが発覚した時は、この世から消えたくなりました。今となってはいい思い出(ということに敢えてしておきます。)

そんなこんなで、とにかく多くの出会いと経験に恵まれてとても楽しい日々を過ごしました。制作の仕事は多岐に渡って苦しいことも多いけれど、それを覆い尽くすほどの面白さがあったし、何より作品が創り上げられていく様子をすぐ側で見ることができる稽古場へ居れることが私にとっては何より幸せでした。
その後、劇団を辞めた後はQ’s Linkという福岡の制作者団体として、色々な現場にいろんな形で関わってきました。
加えて現在は、障害のある人の芸術文化活動に関わる仕事もしています。
文化芸術活動について考える日々。幸せだなぁと思います。

色々な現場に関わる中でよく思い出すのは、制作の世界に入るきっかけとなった松野尾くんとの会話で、私の原点はここだなといつも思います。
私の”制作”の根っこには必ず”愛”があって、愛がないとやれない、と思います。
とはいえ、愛だけでは持たないこともある、ということも長年の経験で得たことの一つ。
これは人生にも繋がることなのかも。バランスよく、生きたいものですね。

さて、バトンを回してくれた松尾尾くんからの質問。一年越しの回答になってしまいましたが(重ね重ねごめんなさい)、、、質問は、「今、制作者として一番欲しい物」でした。
欲しいものはたくさんあるけど、制作者としてならば・・・「安心してお客様に作品を楽しんでいただける環境」かな。切実です。

次にバトンを回す人、は、福岡の制作者団体Q’s Linkのメンバーとして一緒に活動している高橋智美さんです。Q’s Linkは普段はそれぞれ個別に活動を行なっていて、高橋さんは宮崎のこふく劇場にも制作として関わっています。仕事もきちっとこなし、演劇に大きな愛情を持って活動している高橋さんはかっこよくて私はとっても尊敬しています。プライベートでも定期的にいろんな話を聞いてくれる高橋さん。たまに説教とかもされますけど(笑)、それも愛。近々会いたいなぁ。。。最近会えていない高橋さんへの質問は、、、「今一番ハマっていること」です。ハマっていることはなんですか??よろしくお願いします〜。