投稿者「名古屋演劇アーカイブ」のアーカイブ

柴田聡子 さん

みなさま、はじめまして。柴田聡子と申します。
関東を拠点にフリーランスで舞台芸術の制作者・アートマネジャーをしています。
藤澤さんからのバトンを受け取ったままで、長い時間が経ってしまいました。
なかなか次へと走り出せなかったこと、そしてここまで紡いでこられた皆さまのリレーを長く中断させてしまったこと、お詫び申し上げます。

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自己紹介がてら、フリーランスの制作者として活動するまでをお話しようと思います。

埼玉県生まれ、育ち。子どもの頃から絵を描くことや工作が好きで、そのまま「美術の勉強をするなら東京藝大!」と受験するもあっさり不合格。親を説得してなんとか浪人できることになりましたが、晴れやかな気持ちになれるわけもなく迎えた高校卒業式の2日後、東日本大震災がありました。
通っていた美術予備校も計画停電のエリアとなり、窓から差し込む自然光だけで石膏デッサンをしました。春の柔らかな光に晒された石膏像は信じられないほど美しく、と同時に「こんなことをしている場合なのだろうか」という絶望感があり、全く集中できなかったことを今でも鮮明に覚えています。これは表現と社会とが地続きでつながっている、ということを初めて実感した自分にとっての原体験のようなものです。

その後、一浪したのち2012年春に都内の美術大学に進学。専攻は油画でしたが、現代美術の授業でパフォーマンス・アートに出会い、興味を持つようになりました。当時は反原発デモや特定秘密保護法案に反対する集会などが活発に行われていたこと、そしてそういった運動を同世代の若者たちが主導していたことにも影響され、身体を媒体にして何かを表現する切実さのようなものに強く惹かれていたのだろうと思います。
そこから派生して演劇やダンスなどの舞台芸術にも関心を持つようになっていきました。

大学を卒業してからもそういったジャンルの表現にスタッフとして関わることができないかと模索していました。
そんな折に国際舞台芸術交流センターというNPO法人のインターン募集を見つけ参加したところから制作者のキャリアがスタートしました。その後職員になり、インターンの期間も含めると約5年弱ほどお世話になりました。

コロナ禍の2021年春に退職しましたが、すぐにフリーになったわけではなく、しばらくはひたすら映画を観に行ったり、長年の課題でもある英語の勉強をしてみたり、とにかく好きなことをして過ごしていました。コロナ禍という時期もあり、制作者として独り立ちするイメージも持てず、このまま業界から離れていくのだと思っていました。

そんな時、Dance Boxの横堀ふみさんから「とある作品のヨーロッパ公演に帯同するツアーマネージャーをお願いできないか」と相談を受けました。それは神戸を拠点に活動されているダンサー・中間アヤカさんの『フリーウェイ・ダンス』という作品をベルリン、パリの2都市で上演するというものでした。
自身の経験不足やコロナ禍での渡航・上演など不安も大きかったのですが、思い切って飛び込んでみたことが、私がフリーの制作者として活動を始める第一歩になりました。
ありがたいことに、横堀さんはじめDance Boxや中間さんとのつながりは今に至るまで続いています。

現在も住まいは関東にあるのですが、中間さんが今年4月にレジデンス兼パフォーマンススペース「house next door(ハウス・ネクスト・ドア)」(https://housexdoor.studio.site/)を新長田にオープンしたこともあり、より一層、関西エリアにお邪魔することも増えてきました。これまで関東にしか縁がなかったのですが、新長田は第二のホームのように思える街です。
ここ数年、なんだかんだ月1くらいのペースで京都や神戸にお邪魔しているので、関西の舞台芸術シーンにももっと馴染んでいきたいな…と思っています。

最近は偶然にも、単身で活動されている女性のアーティストと協働させてもらうことが増えてきました。
表現者と制作者という立場は異なるものの、どこにも所属せずフリーランスとして生きる女性というところでは共通する部分も多く、彼女たちの活動を手助けし寄り添っていける制作者になりたいな、というのが最近の裏テーマです(とはいえ自分のことでいっぱいいっぱいになりがちなのですが…)。

こんな感じで、さまざまな方とのご縁とお力を借りつつ、フラフラと寄り道をしながらどうにか制作者としての活動を続けています。

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このあたりで藤澤さんからいただいた質問に回答して、次の方にバトンを回していきたいと思います。
藤澤さんからのご質問は「いま自分で企画したいプロジェクト・事業はなんですか?」というもの。

プロジェクトと言えない気がしますが、流しの「劇場喫茶部」をやってみたいです。
劇場ロビーのカフェやバーって稼働していないことも多いと思うのですが(劇場が入っている施設内に飲食店があることも多いからでしょうか?)、いつももったいないなと思っていました。そういう場所を巡るケータリングやキッチンカー的なことができたら楽しそうだなと。
その土地の食べ物や飲み物があったりすると遠方の観客にも喜んでもらえそうですし、例えば上演される演目がいわゆる「買い公演」だったとしても、地元の飲食店やそこを拠点とするアーティストにも協力してもらうことができたら楽しそうです。

20代前半の頃、何度か一人で海外に公演を観にいったのですが、どんなに小さな劇場にもカフェやバーがあって営業していたことがとても印象に残りました。言葉も満足に通じず、チケットの買い方も不安で、自分がここにいて良いのだろうか…と心細い気持ちになっていた時、ロビーのカフェで買ったコーヒーが身体と心をゆるませてくれたことを覚えています。

作品を通して緩やかなコミュニケーションが生まれる場があったら良いなと思いますし、私自身がそういうところに身を置いて色んな人の話を聴いてみたいなーという夢があるのでした。お金はどこから?とか考え始めると実現可能性は限りなく低いので、今の時点では夢止まりですが…。

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さて、私からはしまね文化振興財団の藤原香奈海さんにバトンを引き継ぎたいと思います。
藤原さんとはとあるプログラムを通して個人的に知り合ったのですが、その後すぐに彼女の拠点である島根県での仕事でご一緒することになり、若手ながら方々に気を配る誠実なお仕事ぶりに、改めて「なんて素敵な方と知り合えたのだろう!」と嬉しくなったのでした。再会のあと、松江で美味しい地酒をのんだあの夜は特別な思い出です。

バトンを渡してくれた藤澤さんもそうですが、フリーランスになってから、同年代で活躍する制作者の皆さんと全国各地で出会うことが増えました。彼らの存在はこの仕事を続けていく上でのひとつの心の拠り所になっています。一緒にこれからも歩いていきたいです。

そんな藤原さんへの質問。
「藤原さんにとって劇場はどんな場所であってほしいですか?」
劇場とはご自身がいま所属されている島根県民会館についてでも良いですし、もっと広義の意味でも構いません。
県の財団職員としてはさまざまに求められることがあるのだと思いますが、そういったミッションだけに縛られず、藤原さんの個人的な視点からもお話が聞けたら嬉しいです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
まだお会いできていない皆さまにも、どこかでお目にかかれますように。