投稿者「名古屋演劇アーカイブ」のアーカイブ

吉田雄一郎 さん

こんにちは。
あいちトリエンナーレの村松里実さんからご紹介いただきました吉田雄一郎といいます。
貴重な機会をいただき、ありがとうございます。

最初に自己紹介を。
兵庫県北部の豊岡市にある城崎国際アートセンター(KIAC)という、舞台芸術を中心とした芸術活動のためのアーティスト・イン・レジデンスの施設でプログラム・ディレクターをしています。
出身が豊岡市の南にある朝来市というところでして、大学では舞台とはかけ離れていますが、建築を専攻していました。学生のころは美術館や図書館といった文化施設が好きで、そんな建物の設計をしたいなと、漠然と考えていました。大学を卒業してしばらくは建築の設計事務所で働きましたが、建築業界の体質があまり好きになれず、悩んだ末に建物を設計するのではなく、その中身のプログラムを考える現在のような仕事を選択しました。「コーディネーター」や「制作」と呼ばれる仕事ですね。

でも正直に言うと、制作の仕事をするまでは、演劇やダンスなんてほとんど観たことがなかったし、劇場にもろくに行ったことがありませんでした。たぶん10年位前までは、自分で公演のチケットを買ったこともなかったと思います。舞台といえば、せいぜい子供のころに家族に連れられて観た歌舞伎やサーカスといったくらいでした。
ただ、現代アートが好きだったので、美術館にはよく行っていました。設計事務所を辞めて、当時はA.I.R施設を持つアートセンターだったトーキョーワンダーサイトで一から仕事をおぼえました。その後、フェスティバル/トーキョーという、領域を横断するような表現を多く扱う舞台芸術祭で仕事をさせていただくようになりました。そこでようやく舞台芸術という表現に触れるようになります。コーディネーターは「制作」と呼ばれていることもその時に知りました。

だから僕は今でも自分が「舞台芸術」という分野においては、少なからずアウトサイダーだという意識やコンプレックスのような感覚を持っています。はじめは「制作」という響きもどこかしっくりこない感じがしていました。
でも、そういうアウトサイダー的な視点や立場も案外大切なことかもしれないし、ある意味では自分の強みにもなるんじゃないかと最近は思うようになっています。

では、そもそもなぜそんな自分が「制作」という立場で舞台に関わる仕事を続けているのか?

それは、たぶん僕が建築の世界であまり感じることのできなかった「個人」や「協働」という感覚を持つことができるからだと思います。
建築の世界には大きなヒエラルキーがあります。たいていの場合、施主や設計者がその頂点にいます。優れた技術や経験を持つ現場の作業員のおじさんたちは、上からの指示を実現するために動いています。基本的にはトップダウンで、下からのアイデアが採用されることはあまり多くありません。
もちろん舞台芸術の世界にもヒエラルキーはあります。ピラミッドの頂点にいるのは演出家や振付家でしょうか、あるいはプロデューサーでしょうか。でも、フラットな関係性もあって、出演者・照明・音響・制作…といった人たちが、それぞれの専門性や立場に基づいて、いろいろと意見を出しあいながら一つの作品やプロジェクトに関わっています。
そこには実現したいと思えるヴィジョンが(たいていの場合には)あって、それを実現するために、あるいはより良くするためにはどうすればよいかということを、一人一人が考え、行動する「個人」が尊重されているように感じます。そのことがとても魅力的に思えました。(もちろん、そうではないプロジェクトもたくさんあります。残念ながら。)
建築の場合、個人よりは「全体(性)」や「組織」が優先される場合が多いように感じます。それはそれで良いところはたくさんあると思いますが、僕はどうもそれが苦手だったし、窮屈に感じた。

そういったわけで、今では一人の「制作者」として、日々、アーティストやスタッフ、行政の人たちやまちの方々を作品やプロジェクトを通して繋いでいくような仕事をしています。

村松さんからの質問に答えますね。
質問は「活動の内容と今考えていること、など」ということですが、ここでの活動を通して感じていることを少し書いてみます。

A.I.R.について
作品の発表というよりは創作やその過程にフォーカスした施設でクリエーションのプロセスに関わるというのは、率直に言って結構面白いです。
カタチがなかったものが立ち上がっていく/イメージが少しずつ具現化していく/そのカタチが変化していく/それらが観る人と共有される
そういったことが、まさに今、目の前で起こっている。生まれたばかりの新しい作品や価値がお客さんと交感される。時には意見の対立や摩擦も起こる。そんなことをリアルな感触や手触りを伴って体験することのできる場所だと思います。
さらに面白いのは、そんな創作の場でありながらも、ご飯を食べたり、温泉に行ったりと、普通に生活をしているアーティストの姿を同時に見ることができるところです。
「特別なこと」と「何でもないこと」の混在具合について、もっとうまく人に伝えたり、共有したりすることができるとよいなと思うんですが、なかなか難しくて。今の大きな課題ですね。

地方での活動について
豊岡市は自然豊かなまちですが、人口は8万人ほどの決して大きくはない自治体です。こういった地方の小さなまちで同時代の芸術表現を日常的に必要としている人は、東京や名古屋などの大都市と比べると決して多くはないかもしれません。保守的な考え方や仕組みも根強く存在しています。残念ながら。
でも、だからこそアートが生き生きとしたエネルギーやパワーを持つことができる可能性もあるんじゃないかと思っています。既存の社会のシステムや論理とは、異なる考え方や価値観もあるということを、ヒリヒリとしたリアルな形で示すことができる気がしています。
こういった感覚は東京で仕事をしていた時にはあまり感じることができなかったものです。東京だとそもそも価値観が多様すぎて、ちょっと混沌としすぎているのかもしれません。

といった感じです。質問の答えになっているといいんですが。

最後にこのブログリレーのバトンをインディペンデント・プロデューサーの新田幸生さんにお渡しします。新田さんは、台湾と日本をベースに国際的に活躍されているプロデューサーです。
「国際的・インディペンデント・プロデューサー」とか書くと、なんだかすごくバリバリ仕事をするようなクールな人という印象を持つかもしれませんが、実際はとてもチャーミングな愛すべきキャラクターです。毎年のようにTPAMの会場でお会いするんですが、ゆっくりと話をしたことがないので、僕自身がこの機会にお話を聞いてみたいなと思っています。
質問は「国際プロジェクトに関わるうえで、大切にしていることは何ですか? あと、新田さん的台湾のおすすめスポットも教えてください」です。
台湾にはまだ行ったことがないので、いつか行くときの参考にさせてもらいます。

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。
読んでくださった方とどこかでお会いできる日があると面白いですね。
そんな日が来るのを楽しみにしています。