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荒井洋文 さん

土屋わかこさんからバトンを引き継ぎました荒井洋文と申します。長野県上田市の海野町商店街で「犀の角」という名の文化施設を運営しています。ゲストハウスとカフェも併設されている地方都市の小劇場ですので、役割としては運営会社の代表であり、プロデューサーであり、制作者であり、時にカフェのスタッフでもあり、宿屋のオヤジでもありますし、薪割りから大工仕事までなんでもこなす用務員でもあります。大切なバトンを引き継ぎながら随分と時間をいただいてしまいました。本当にごめんなさい。

「犀の角」の誕生からこれまでのプロセスと現状を語ることが、自分の「制作者」や「プロデューサー」としての仕事やスタンスについて説明することになると思うので、そのようにさせていただこうと思います。

なぜ、人口15万人の地方都市上田に民営の「劇場」を作ろうと思ったのかと言えば、2015年当時、小劇場的な場所が上田に存在しなかったからです。長野市や松本市にはいわゆる「小劇場」があって、活発に活動しているように見えたので、上田にも似たような場所があったほうがよいと思ったのです。
10年間所属した公共劇場、静岡県舞台芸術センターの制作部を退職して、実家に戻り、さて、これからどうやって生きていこうかと思い巡らせていた時、たまたま商店街の真ん中にある築50年の古いビルの利活用について意見を求められたことがきっかけとなり、ひょんなことから自分が事業をやることになりました。劇場を作りながら一番考えていたことは、法律的なことは置いておいたとして「『劇場』って何だ?」ということです。

最初はフラットなブラックボックスを作ることが、汎用性という意味で大切なことだと考えていました。しかし、そうするにはリノベーションに相当なコストがかかることが判明しました。全く資金がなかった自分としては、本当に汎用性の高いブラックボックスが上田の街に必要なのかと疑問に思い始めました。外界の音を遮音でき、完全暗転可能な施設を、お金をかけて作る意味があるのだろうか?それよりも他に大切なことがあるような気がしてきたのです。

そもそも演劇関係人口が少ない上田においては、世界中のどの演劇人にとって使いやすい劇場を作るよりも、むしろ、その地域に根付いて、人やコミュニティと繋がっていくことのほうが優先度が高い気がしました。なので、一階にあった大きな窓を塞ぐのではなく、より大きく拡張して、商店街から劇場の中が覗けるような明るく開けた劇場にすることにしました。おかげで、完全暗転は不可能ではないが割と困難で、劇場の真ん中にはかなりの段差があり、壁は半分が白く、外の音がガンガン入ってくる、およそ「劇場」とは言い難いシロモノが出来上がりました。長野県に「ちゅっくらい」という方言がありますが、中途半端という意味です。「犀の角」は「ちゅっくらいの劇場」として活動を続け、8年目に入りました。

「ちゅっくらい」なおかげで、「犀の角」には演劇とは直接関係のない人々がたくさん出入りしています。そもそもゲストハウスを営業していますので、観光客やビジネス利用の方が泊まりに来ます。チェックインはカフェスペースで行い、ゲストはカフェを利用しますが、そこはカフェでありながら劇場であり、ロビーです。また、コロナ禍で近隣のNPO等と協働ではじめた事業、困りごとを抱えた人が500円で泊まれる宿「やどかりハウス」の利用者が支援者と共にカフェに、いや劇場にいて、何やら話し込んだり、ご飯を作って一緒に食べたりしています。と思えば、小学生から高校生までが自分の挑戦したいことを大人と一緒にやってみる活動「うえだイロイロ倶楽部」の子どもたちやボランティアの大学生が来ていたり、ホームレス風のおじさんが外のベンチでタバコを吸っていたり、アメリカから逃げてきたというアフリカ系アメリカ人がぼーっとしていたり。相当に賑やかです。

もちろん舞台作品もきちんとラインナップしていますし、そこに往年の演劇ファンのみなさんや、新たに演劇を好きになった方々も来場されます。が、同時に演劇に関係のないない人びともたくさんいます。その人びとはいわゆる演劇には興味はそれほど示さないけれど、なぜか「犀の角」に居て、いろんな人や作品と出会ったり交流していたりする。そのことが当事者ながらとても面白いですし、もはや私のコントロール外のところで勝手に何かが起きていて、それが面白さに拍車をかけています。

「劇場」らしくない劇場に、演劇が好きな人も、あまり演劇に興味のない人も雑多に集うことで、相互に出会い、新たな関係性が生まれ、そのことによって、私にとって今まで見たことのないようなものが生まれている。犀の角を運営する私の立場から見れば、それも演劇と言いたい。でもそれは、入場料をとって1〜2時間位の舞台作品を見せるというようないわゆる「演劇」ではありません。でもそれは確かに演劇で、もっと言えばそれが非常に面白い演劇に見える。では、単なる人と人との関わりが、なぜ演劇に見えるのか?それは、ここで起きている出会いと、ある種の創造の場において、その人や事柄について固定化した意味付けや、決めつけることをしないからではないか。あるいは、なるべく留保し続ける姿勢を犀の角を訪れる多くの人が感覚的に身につけているからではないかと思います。

「やどかりハウス」の利用者も、「うえだイロイロ倶楽部」のメンバーも、舞台俳優も、いわゆる社会生活の中で、何某かの固定化した役割を演じる中で疲れたり、傷ついたりした人たちがやってきて、「自分」を演じ直したい、あるいは「別の人間」を演じてみたい、あるいは演じられる可能性があるのではないかと思って「犀の角」を訪れているのではないかと思います。その可能性やら余白やらが、今のところ人を呼び寄せている気がするのです。「やどかりハウス」利用者と支援者、アーティストとの間で起きている日々の葛藤の中で、新しい関係が生み出されたり、「うえだイロイロ倶楽部」で起きている子どもたちとボランティアとの間で起きている格闘の中で新しい関係が生まれたりしている。

人や物事を決めつけず留保し続けること、あるいは、疑問を持ち続ける姿勢をもつことは、苦しくて、辛いことでもあるけれど、新しい物事を生み出す大きな要因―創造性―につながっていると思います。その創造性は、実は「演劇」の世界よりも、福祉や支援、あるいは教育の現場のほうが今や持ち合わせているのではと思います。粘り強く、諦めず、人と関わり続けることによって新しい価値を生み出していくことを、私たちは、犀の角に集まる演劇関係者以外の人々から学ことが多いと感じています。「演劇」のほうは、その文化やシステムの中での純度や質をあげていくことは得意だけれど、逸脱したり、新しい価値や関係性が生まれたりしにくい状況になっている気がします。それについてはまた別の機会に考えてみたいと思いまます。

ともあれ、社会にはこのような新しい関係性を試し、演じ直せるような場が必要で、本来昔からそのような場を社会に担保してきたのだと思います。神社の境内とそこで行われる「村祭り」などは、人が出会い直せる場であり装置であったはずです。それらを社会の「余白」と言ってもいいですし、「共有地」や「コモンズ」とも言い換えられると思います。現代社会にはそういった場が極端に少なくなっているのではないか。「犀の角」はそれを取り戻そうとしているのではないかと思います。おそらく、「劇場」の本質もそこにあるのだと思います。

もともと私が「犀の角」をこのような場にすることを想定して運営してきたわけでは全くなく、たまたまやっていたら、コロナ禍になって変化を強いられたり、人と出会ったり、街と出会ったりしながら、現状のように変化していったということになります。この変化や逸脱することを受容していくことが私のプロデューサーとしてのスタンスかもしれません。

最後になりましたが、土屋さんからのメッセージで「上田で一番好きな景色の場所はどこですか?」とお尋ねいただきましたので、「岩鼻」とお答えして締めくくりたいと思います。上田市の西部に位置するある千曲川沿いの名勝で、切り立った100メートルほどの崖の下部に大きな穴が開いるスケール感のある場所です。上田から佐久地域にはその昔、大きなひとつの湖があり、その西側の端がこの岩鼻だったと言われています。実際に近くからイルカや鯨の化石が出土しています。ここに立つと、現世の時間軸、空間軸から開放されて大きなゆったりとした流れの中に身を置くことができます。物事を全く別の角度や視点から見たり考えたりすることの大切さを気付かせてくれるのです。

このバトンを藤澤智徳さんに引き継ぎたいと思います。藤澤さんは信州アーツカウンシルのコーディネーターとして活躍されている傍ら、ダンス公演のドラマトゥルクとしても活動されており、犀の角もさまざまな場面でお世話になっています。そんな藤澤さんのお仕事をみていると藤澤さんは「アーティスト」としての一面も持っていると私は感じています。アーティスト的な感性や振る舞いが、制作者としての振る舞いに与える影響、あるいはその逆にはどんなものがあるのか、そのあたりを藤澤さんお聞きしたいと思います。

長文をお読みいただきありがとうございました。