西尾佳織さん
東京の劇団、鳥公園主宰の西尾佳織さん。とても温和で、話をしているとその場が癒し空間になるような感覚を覚えました。理屈を徹底的に突き詰めることをしながらも自分の感覚をとても大事にされている。あらゆる意味でバランスの取れた方という印象を受けました。
観念してやるしかないのか

西尾さんが演劇を始める最初にきっかけを教えてください。

■西尾佳織さん(以下西尾):小さい頃から割と好きだったんです、何か作ったりとか、自分じゃないことをするとか。最初のきっかけは中学で先輩の公演を観て演劇部に入ったことです。鴻上尚史さんの『デジャ・ヴュ』だったと思うんですけど、派手で色々な事を言っているんですけど、なんのこっちゃ分からない(笑)。でもそういう事が出来るんだと思いました。よく分からないものを分からないまま提出出来る。そのコミュニケーションの仕方に興味があった。いま言葉にしてみたらそんなことだったのかなと思いますけど。気付いたら続けていた感じですね。

『鳥公園』を始めたきっかけはどういったものなのでしょうか。

■西尾:大学3年生で就活をしたんですけど就職出来なくて、これは未練があるなと思って観念して始めた感じです。元々は演劇をやって生きていくのは現実的じゃないと考えていまして、本当はやりたいのに「とてもとても」と思っていたんです。それまでは書いたり演出したりするのは、遠い、畏れ多い、と思っていたんですけど、本当はやりたかったんですね。自分の中で就職するのが現実的だと思っていたんですけど、それが急にパツンと無くなって、観念してやるしかないのかと思い始めました。本当に就職したかったらそんな所で止めないでやるしかないと思うんですけど、興味があった所が駄目だった時点でそう思ってしまったというか。

通り過ぎられない感じ

劇団名の由来を教えてください。

■西尾:人が自立した状態でいて、なおかつ他人と一緒にいられるというのはどういうことかなと思いまして。なかなか無いと思うんですよね。人が集団になると一人の時とは違う。だからって引き篭っている訳にもいかないなあと。でも公園って散歩している人もいればバトミントンしている人もいるし、お昼寝している人もいる。皆んな伸び伸び自由にしていながらもそれぞれが視野に入っているというか。そのことを全員が把握してその場にいるなあと思いまして。劇団を作った時点では人が自由でいて、かつ他人といることが出来る場としてギリギリイメージ出来たのが公園だったんですね。今はもうちょっと違う形もあるかなと思ってはいるんですけど。あとは何故『鳥』かと言うと、省略されない名前がいいなと思ったんです。あとは字面ですね。ぱっと見た時の印象って大事だと思いまして。

これまでに影響を受けた作品や人物を教えてください。

■西尾:一番は太田省吾さんが出てくるんですけど。ぎょっとしたのは現代美術家、高嶺格さんの『木村さん』というビデオ作品です。『森永ヒ素ミルク事件』で身体が動かなくなってしまった木村さんの自慰行為を高嶺さんが手伝っていて、射精に至って木村さんが笑うという作品なんですけど、大学の授業で見せられて。その時はまだ自分が芝居を作っていくということは思っていなかったんですけど、「なんだこれは」と思いまして。通り過ぎられない感じがして覚えていますね。もうひとつは2013年に1ヶ月間ルーマニアにホームステイをしているのですが、17歳のクリスティーナという女の子のお家に居たんですね。それで、ルーマニアに行く前にはドイツで強制収容所を見に行っていたので、ナチスの行為にショックを受けたという話をしたんですけど、そうしたらクリスが「でもヒトラーってちょっとクールだと思っちゃうんだよね」って。ルーマニアにはロマ(ジプシー)の人が一杯いて、ルーマニア人の納めた税金で何故かあの人たちを保護するということが行われていて、感情的に大嫌いだから、隣にいる人を排除したいという気持ちは分かってしまう、と言っていて。クリスはとても賢くて好きなんですけど、分かり合えないなあと思って。人っていうより体験でしたね。

絶対予定通りにならないので

台本を書かれる際のアイデアはどういった所から生まれて来ますか。

■西尾:普通に生活している中での違和感ですね。好き嫌いとは別の軸なんですが、見ないフリが出来ない感じ。考えたからって解決出来る訳じゃないんですけど、なんでこういうことになっているのかなということを構造的に考えるというか。何がこんなに引っ掛かってるのかと、自分で考えたり、稽古場に持って行って俳優と話したいというのが大体始まりですね。

台本は当て書きですか。

■西尾:そうです。稽古が始まった時点では何も無いんですね。何かしら断片的な事はあるんですけど、俳優にシチュエーションだけ与えて喋って貰って、そこから拾う事も多いです。

自身の戯曲の癖や特徴を教えてください。

■西尾:なんだろう。ぱっと見、構造が分かりにくいと思います。所謂起承転結では無く、断片がバラバラ出来ていって、それらが3割くらい出来てくると、これを『1』→『2』という順番にしようかなとか、多少構成が出来てきてまた断片に戻る、という往復が多くて。最終的にはそうしかならないと思うんですけど、頭から芝居を観て行った時に、『1』の後にこの『2』が来るというのが非常に分かりづらいんじゃないかなという気がします。感覚的な気がするので。よく分からないけどこうなったという総体を見せたいので。で、実際、割とそういう風になっているんじゃないかと思っています。

構造等の理屈を突き詰めるようなタイプだと思っていたのですが、感覚に依る所も大きいのですね。

■西尾:そうですね。構造は見えて来るもの。こうしたいというのは常に考えるんですけど、絶対予定通りにならないので。でも構造が無いとやばいとは思っています。

やらずにおれないからやっているのがいいなと

演出する上で一番大事にされていることを教えてください。

■西尾:その場にあるものは無視しないということですね。上演の時のその時間、その場所にあるもの。劇の都合を優先するのは絶対無いですね。

劇場空間を無視しない。

■西尾:そうです。そこから始まって、お客さんが入ったその回その回にもそれがあって。それに引っ張られちゃいけないんですけど、無いことにしないというか。もうひとつは、俳優が全員自分の足で立っているように、というのは思います。命令されて従っている状態がとても嫌なんです。そうなりそうな方がいると話し合います。

一緒に活動する上で持っていて欲しい能力や要素はありますか。

■西尾:鳥公園という場でしか出来ない創作方法とか作品がその人にとって必要だと思っていることですね。わたしが止めろと言っても勝手にやるんだろうなという人が好きです。演劇に限らずあらゆる表現活動なんて、自分を含めて全員やらないで済むものならやらない方がいいんですけど、「あなたはやった方がいい」とか人から言われてやるものじゃないなと。人からどれだけ言われてもやらずにおれないからやっているのがいいなと。

作品の方向性と役者がズレてしまった場合はどうされますか。

■西尾:頑張って話すんですけど、わたしは作品を作るのが目的では無く、営みが大事で、作品はその副産物で出来るみたいな感覚があるんですよね。そこからしてズレる時がズレちゃう時。そこは話すんですけど、うまく擦り合わないなという時はあります。悲観的ですけど。

人間は分かり合えないと思っているタイプでしょうか。

■西尾:そうですね。岡田利規さんの本の中で美術家の塩田千春さんと往復書簡をされていて、その中で「お互いの間にある壁を『こちらからだとこんな質感』と伝え合うのが実は相当分かり合えてる状態じゃないか」って書かれていて。とても分かる気がしたんです。それでも伝え合うのを諦めないのが凄くポジティブな感じがしています。

ひとつの若さを通り過ぎたんじゃないか

演劇の面白さや魅力はどういう所に感じますか。

■西尾:コントロール出来ないのがいいなと思います。例えば映画だと編集出来てしまうじゃないですか。なのでそっちが作品ということになりますけど、演劇だとどれだけ演出家が叱った所で、やってしまったことが作品になるという。そのことを信頼したりポジティブに思えないのであれば演劇という手段を選ばないと思うんですよね。そこに委ねるしかないっていうのが面白いって思ってるんだなわたしは、と思って。

今後の目標や取り組んでみたいことはありますか。

■西尾:難しいですね。それをどういう所に置いたらいいのかなというのは考えていることですね。例えば稽古場とか創作環境があればいいなとか、お金があったらいいなというのは迷いなく思うんですけど、それは目標じゃないよなと。そういうことより、わたし今30歳で、割と近い年代の人とやることが多いので、なんか遠い夢みたいなことよりも現実的なことを感じているようです。芸術家だからってエキセントリックなのが良いとは思っていなくて、ちゃんと生活をしながらいかに老けないでいられるか。例えばロックスターって早く死んじゃう人が多いと思うんですけど、若い時って生き物として不安定なので死にやすいんだなと思って。そういう人が創作活動があるおかげでかろうじて生きられていて、それで凄いものが出るんですけど、それで死んじゃったりするんだなと思って。でもわたしはそういう自分の躁鬱状態に頼らずに作品が作れるようになりたいと思っているんです。そして今はそれが変わって来つつあるなと思います。去年の夏くらいまで、どうやら自分が感じている虚しさに夢中だったみたいで。なんかそれってひとつの若さを通り過ぎたんじゃないかと思ったんです。今は作品を作らなくても平気かもと思ったんです。普通に暮らしていて散歩するだけで結構感動してしまう。景色が綺麗だとか。だから前より作品を作るのが難しくなっていて、でもそれは良いことだと感じているんですね。厳しいジャッジの上に出てきたものの方が良い気がする。一緒に作っている人達にもそういう変化があったりして、それはしんどくなるんですけど、それでも集団でやりたいという状態で書くというのがいま取り組みたいことですね。

ありがとうございました。

■西尾:ありがとうございました。