黒澤世莉さん
東京の劇団、時間堂の堂主である黒澤世莉さん。文化に対する造詣が深く、多くの視点から演劇を分析している方だと感じました。また、今回は同劇団のプロデューサーである大森晴香さんにも同席頂きました。
女の子の集団には逆らっちゃいけない

黒澤さんが演劇を始めたきっかけを教えてください。

■黒澤世莉さん(以下黒澤):普通はこの芝居を観てとか、この映画を観てとかあると思うんですけど、ぼくはないんですよ。ただ、両親が共に演劇をやっていて、ぼくはそれを大人になって知ったんですけど、子役のオーディションを受けさせられたりとかしていたので、おそらくそういうことが影響していたんだろうなというのはあります。ぼくの中で演劇に対する憧れとかはないです。気が付いたら関わっていて、いつの間にか仕事になっていた。

学校で演劇部に入られたりはしなかったのでしょうか。

■黒澤:中学に入る頃には将来演劇をやろうと思っていて、中、高と演劇部に入りました。高校の時の目標は全国制覇だった。でもそれ以前に、演劇部が大会に出ていないというところからやらないといけなかった。説得するのが大変でした。1年、2年を棒に振って、3年目で地区大会に出たんですけど、夢は叶わなかった。中学高校の6年間で勉強したのは、女の子の集団には逆らっちゃいけないなって。それがいま一番生きてますね(笑)。

そこから時間堂立ち上げまでの経緯を教えてください。

■黒澤:演劇の知り合いも多くなかったし、また、やりたいスタイルの芝居が見つからなかったということもあって、「演劇だけじゃ駄目だ」と訳の分からないことを思ったんですね。それで友達と一緒に、色々なクロスカルチャーをやるグループを作って、ラウンジイベントをやったり、フリーペーパーを作ったりしていました。20歳の頃から。そういうことをやりながら、段々と自分の演劇活動を始めたという感じですね。いま思えば、明確なターニングポイントは、柚木佑美という人に出会って、3年4年くらい通って、色々なテクニックに触れたことが一番大きかった。そこでなにが良いのかというのが明確に分かった。こういうことやりたいなと。当時は俳優として成功したいなと思っていたんですが、24、5の時に俳優は諦めた。誰もオファーしてくれないから。だから自分で自分をキャスティングして、演出して、作家もやって。でもぼくは俳優をやるよりも演出をやるほうが褒められるなと思って。客演とかしても上手く出来ないし、辛いし、褒められないなって。でも、お芝居を作ると褒められる。よく考えると、俳優をやってる時は凄く辛くて苦しいんですけど、演出やってる時は楽しいなって。それで俳優はやめて演出家になりました。人は自分が好きなものになれる訳じゃない。それを楽しむものになるんだなって。ぼくがやりたかったのは間違いなく俳優なんですけど、演出家になったほうが幸せだった。やりたいことをやるんじゃなくて、なんらかのオファーがあって、それに気付く力が重要なんじゃないかと思います。そういうことが出来ると生き方が楽になるんじゃないかなと思います。

ピーター・ブルックがやってくれている限り俺は大丈夫だ

これまでに最も影響を受けた作品や人物があれば教えてください。

■黒澤:ピーター・ブルックですね。彼の『ザ・マン・フー』という芝居を、世田谷パブリックシアターでやったんですけど、あのだだっぴろい所にパジャマを着たおっさんたちが5人くらいうろうろしているだけで、凄く退屈だった。なのに、俳優がそこに居るんだというのが非常に明確で、そのやり方が格好いいなと思いました。演劇とかやっていると動機付けとか導線とか色々考えますけど、そんなのどうでもいいよって印象が凄くあって。無駄が無い。無駄が無くそこに居るというのは普通の人間には難しいことで、大勢の人間の前で、何かを求められている俳優であれば、自分ではないことをやったりとかしたがると思うんです。退屈なんですよ物語自体は。やっぱりドラマは欲しいなと思いましたが、俳優の在り方としてはああいうやり方をしたいし、ああいう演劇をやりたいし、ピーター・ブルックがやってくれている限り俺は大丈夫だって、よく分からないことを思いました。

他に影響を受けた方はおられますか。

■黒澤:思想としてはサンフォード・マイズナー。スタニフラフスキーの影響を受けたアメリカ人の一人で、弟子というか発展系。この人は、スタニフラフスキー・システムの中で、人間の関係性に注目した方なんです。アメリカのアクターズ・スタジオにはリー・ストラスバーグとサンフォード・マイズナー、そしてステラ・アドラーとスタニフラフスキーの影響を受けた人間がいたんですけど、リー・ストラスバーグが追求したのが『心理的リアリズム』。自分の過去の記憶とか、自分の中の心理に焦点を当てていて、サンフォード・マイズナーが『人間同士の関係性』。人間と人間の間に起こる出来事。その関係の変化というものに焦点を当てている。ステラ・アドラーは『人間の社会性』。社会の中で人間がどう振る舞うのか。どういうポジションにいる人間なのか。その人間同士はどのような社会的な差異があるのか。スタニフラフスキーの傍流なので、それぞれはやることが近いというか、ただ焦点を当てる場所が違う。ぼくがサンフォード・マイズナーの影響を多く受けたというのは、例えばガチ切れをするとして、そのガチ切れが自分でちゃんと信じられているかどうかってことよりも、そのガチ切れがちゃんと誰かの影響を受けたガチ切れで、それを他の人にちゃんと伝えられているか。ぼくが解釈するサンフォード・マイズナーの演劇というのは、演技が自分の身体の中とか、相手の身体の中とか、あるいはお客様の身体の中にあるのではなくて、俳優と俳優の間で行ってきた、その瞬間にだけある。その間にだけ存在するというのが彼の考え方なんじゃないかなと思います。たぶんそういう突き詰め方はスタニフラフスキーさんはしていない。もうちょっと統合的なことを考えておられたと思います。……こんな話面白いですか(笑)。

ぼくは凄く楽しいので大丈夫です(笑)。

どれだけインテリカップルだよ

『演劇デート計画2036』というものを立ち上げたということですが、立ち上げの動機とその経緯を教えてください。

■黒澤:これはあの、身も蓋も無いことを言えば、キャッチーなことを言いたくて、言ってやったみたいな。よく言われるのですが、俺たちの作品がデート向きかと言われればそうじゃない(笑)。『ローザ』という芝居を観た方のアンケートに「これをデートで観るってどれだけインテリカップルだよ」って。そうですね、ごめんねって思った。でもこれは自分たちがデート向けの演劇をやりますよってことじゃなくって、例えば中学生がハチ公前で待ち合わせして、「ご飯食べようか」って前に「演劇観に行こうか」って選択肢があって欲しい。それくらい日本人のすぐ側に演劇があるようにしたいなって思って。そういう風になったほうが皆幸せだと思う。例えば演劇やってる人がもっとオシャレで格好良かったら、皆憧れて演劇する人が増えるなって思ったんです。だからちゃんとしなきゃいけないと思った。そういう思いがこういうキャッチーな言葉になった。

今後時間堂のお芝居をデート向きに作るというのは考えておられないのでしょうか。

■黒澤:そういう風に劇団の方向性が行くのかもしれないなと思ったのですが、プロデューサーが「やだ」って言うから(笑)。

■大森晴香さん(以下大森):デート向きの演劇ってもちろんいいんですけど、それを時間堂の主軸に持っていくのは違うかなって思って。わたしたちが演劇デート計画以外で頻繁に使っているのが、『大人の為の小劇場』って言葉。大人が観に来て鑑賞に堪える品質のもの。こちらのほうが時間堂のイメージに合うと思うので。大人の為の小劇場、デート向け、となる順番ならいいんですけど、デート向けにだけ走るのは違うかなって。

■黒澤:ぼくらがデートに行ける場にしてやるっていうよりも、演劇がそういう選択肢の中に入るような浸透の仕方をぼくたちは願っていますということ。

いかに自分のフレームを壊すか

演出をする上で最も重視していることを教えてください。

■黒澤:勇敢さですかね。なんかビビっちゃうじゃないですか。これ駄目かな、とか。待つのも勇気だと思うし、切るのも勇気だと思う。精神的な強さですね。

稽古場でもそういう話をするのでしょうか。

■黒澤:はい。あまり「勇気を持て」とは言わないですけど、「勇敢であろう」という話はします。いかに自分のフレームを壊すかということが重要になってくることが多いので。同じことを何回も出来ないのは、元々の考え方に問題があることが多い。それが凄く難しいことだったらあれなんですけど、そんな難しくないよ、いま要求しているのはって。

そこに照れなどがあるということなのでしょうか。

■黒澤:そうですね。例えば変な抵抗感とか、自意識とか。勇敢さというよりも『献身する』という言葉のほうがいいのかもしれないですね。作品に対して献身する。そこが共有できていると凄いすっきりすると思うんですよ。エゴってどうしてもあるじゃないですか。どうやって自分の持っているいらないこだわり、プライドみたいなものからはずれて、もっと伸び伸びと自由になれるのかと考えていくと、自分のことを考えるんじゃなくて作品のことを考える。それが一番すっきりするかな。考えやすいし、誤解が生まれにくい。作品を良くする為に色々なことを話し合う。何か作る時に責任分野を明確にするというのは好きじゃなくて。役者から台本の駄目出しされても全然聞くし、ぼくからスタッフにバンバン言うし、スタッフからバンバン言われてもいいし、皆平行な関係でありたいなと思います。そのほうが面白い。せっかく集団じゃないと作れない芸術を作っているのに。でもその為には各人が作品に献身するという了解が取れているのが前提条件だなと思います。それってわりと大変なことだと思うんです。自分の領分じゃないところに口出しするのは抵抗がある。そういうのを乗り越える為には勇敢さが必要。ぼくはたぶん無意識的に面倒なことを嫌うので、これを言ったら面倒臭いとか、かったるいとか、でも作品を良くする為だからなって。それが人を傷つけたりする方向に行ったら駄目だと思うんですけどね。「芝居するからバイト全部休め」とか。死んじゃう死んじゃう(笑)。人間としての尊厳を保つのは前提条件としてあった上で、作品に献身する。そこに持てる力を注ぎ込む。寝てもいいし遊んでもいいし。そして肝心な所で背中を預ける。

信頼関係ということでしょうか。

■黒澤:そうですね。人に頼るのって凄く困難なことだと思う。でもそれをやるのが演劇だと思います。ただそれを言い訳にすると逆にもの凄く物事を分かりづらくする。おそらく一般的に使われる言葉には手垢が一杯付いている。例えば『信頼感』とか、先程の『リアリズム』という言葉とか、その言葉の持つ本当の意味では素晴らしいんですが、それらの言葉には手垢が付いていて、浅く表面的に解釈されてしまいがちだと思うんです。そういうのが怖いので使わなくなっているというのはありますね。だから俳優に信頼関係を求めているし、芝居にリアリティも求めてはいるんですけど、それを表面的な言葉で、俳優に簡単に消費されたくないのでそういう言葉は使わないようにしている。

愛があればこだわれる

演出家に必要な能力とはなんだと思いますか。

■黒澤:演劇に対する愛だと思います。やっつけ仕事は観れば分かる。愛があればこだわれる。作品に対する愛があるからといって凄くはならないけど、愛がなければ凄くはならない。

一緒に活動する相手に求める能力や要素はありますか。

■黒澤:3つあって、ひとつは『勇敢さ』。頭で考える人ってあんまり好きじゃなくって、まずやってみるようなタイプの人が好きです。勇敢さっていうのは、自分を守る機能を減らせる人。恥をかいてみる、笑われてみるということに抵抗の無い人。それを素直に受け取れる人。もうひとつは『継続性』。勇敢な自分を継続できる。例えば、今回で燃え尽きてもう演劇辞めますって人は困る。長く一緒にやることで見えてくることがたくさんある。例えば、ぼくが「こうなって欲しい」ってわーって言っても、「辞めます」と言われたら本当にがっかりする。なんだったんだあれはって。3つ目は『楽しくやれる人』。どんなに勇敢でどんなに継続性があっても、ずっとしかめっ面で「納得いかないんですけど」って言われたらなんか嫌。毎日を楽しくしたい。これ辛いって時に「まずいっすね。笑うしかない」そういう人がいいです。『勇敢さ』『継続性』『楽しくやれる』。これがあれば上手くなりますよ、そのうち。

だからぼくはずっと稽古していたい

最後に、演劇を通して表現したいことがあれば教えてください。

■黒澤:結論から言えば演劇を表現したい。作品のテーマとかわりとどうでもよくて、台本にはなんらかの含意があるし、演出する時はキーワードを取る。前回の『星の結び目』では『水』とか『血』がキーワードとしてあって、それを大事にしていた。そういうキーワードを通じてぼくの抽象的な概念に肉付けしていく。何か伝えたいメッセージがあって演劇をしている訳ではなくて、演劇そのものが欲求。それを続けることがぼくにとっては凄く重要。ケラさんが非常に良いことを岸田国士から引用していて、「書きたいことがあるから何かを語るのではなく、なにかしら書かなければならないので語るべきことを捻出するのだ」って。そうだよねってぼくは非常に共感した。ぼくは演劇をしなければならないので。あと、最近のキーワードで言うと、「俺たちの目標は演劇になることだ」。例えば「最高の俳優ってなんだろう」っていう思考実験をした時に、ぼくが思うのは、国立劇場にお客様を満員入れて、素舞台で明かりがあって、そこにただ俳優がいる。そしてお客様が感動している。それが理想の俳優だと思うんですけど、それは実際には起こり得ない。でも突き詰めて考えていくと、俳優ってそういうことなんじゃないかって。ただそこに生きていこうとする俳優がいるだけで感動する。それが究極的な目標。そこに至る為に俳優の存在をぼくは突き詰めていきたいし、演技というものを突き詰めていきたいし、それらを突き詰めていく為にはドラマが欠かせないから、ドラマっていうことを凄く深めていきたいと思っています。あと、人から言われて、凄くしっくりくるなと思ったのが、「スケッチするみたいに演劇をしますよね」って。ぼくは同じことを何回も繰り返すのが好きで、一発で正解を出すことに価値がなくて、何回も線を引いていって、その中で一番いい線を選んでいく。そういうのが凄く楽しい。だからぼくはずっと稽古していたい。本末転倒ですけど、稽古する為に本番するようなところもある。そしてその楽しさをお客さんにも伝えたい。ただ、ぼくが面白いと思うことがお客様に伝わりづらい。お客様は、決められた芝居の中で、決められたドラマ、決められた人間関係の中で、あるパターンを観る。そのパターンが惰性になりがちなんですが、それは僕が好きな演劇ではない。決められた物語なのに、何度も反復したことなのに、今はじめて経験したことのように鮮やかに存在する。そういう演劇をやりたい。決められたドラマをいかに新鮮にやるのか、ということを突き詰めていきたいです。

本日はありがとうございました。

■黒澤・大森:ありがとうございました。