中野菜保子さん
劇団上海自転車主宰の中野菜保子さん。とても頭が良い印象を受けました。自ら舞台に立ちながら、同時に社会に演劇を普及させる為に頑張っている方です。
盆踊りをやってる時に生まれたからじゃないか

まず演劇を始めたきっかけを教えてください。

■中野菜保子さん(以下中野):きっかけというのは特別になくてですね、幼稚園の時は歌手になりたかった。歌が大好きで、父親がクラシックギターをしてることもあって、音楽が身近にあったから。うちは行事の度毎に父親のギターの演奏に合わせて歌うっていう伝統があるんです(笑)。ハッピーバースデーとか、雛祭り、端午の節句、母の日。父の日は歌がないんです。

自分の時はないんですね(笑)。

■中野:そうなんです(笑)。音楽が身近にあったから、歌手になりたかったんですけど、母親が歌手になるにはもの凄く小さい時からトレーニングを積んでいないといけないと。もう遅いと。そういうことを言われたんです。小学校の高学年の時に。ああそうなんだ。じゃあ女優になるって言い出したんです。じゃあってなんだって話ですけど。そこはまあ子供の言うことなので。でも中学に上がって演劇部がなくって美術部に入って。で、その間にオーディション受けたいって言うじゃないですか。小学校でも言ってたんですけど、じゃあ中学になったらいいよと言われて。中学入ってオーディション受けたいって言ったら高校まで駄目だと。で、受けられなかったんですけど、高校上がってたまたまそこの演劇部が結構有名だったんです。大阪の清水谷高校という高校なんですけど。

その頃は大阪に住んでいたのですか?

■中野:はい。17まで居ました。そこでやっと演劇部に入ったっていう流れなので、なんで興味を持ったのかというのはないんですね。全く。なにを観て感動したとか言えればいいんですけど、そういうのがなくて。ほんとに幼稚園の時からイベントが好きでしょうがなかった。親は盆踊りをやってる時に生まれたからじゃないかと、適当なこと言ってますね。

売り言葉に買い言葉みたいな感じで宣言して、そのままなってしまったという感じでしょうか。

■中野:そうですね。

わたしも全く同じことしますから

そこから『劇団上海自転車』立ち上げの経緯を教えていただいてよろしいでしょうか。

■中野:はい。高校3年生の時にこちらに引っ越してきて、大学は愛大の豊橋校舎のほうに。そこで演劇研究会に入ったんですけど、作り方があまり好きではなかった。迷ったんですけど、1年生で辞めてしまって、たまたまその大学に劇団うりんこの創設者のしかたしんという人がいて、その方が大学の講師で児童文学と自己表現という授業をやっていたんです。で、それをとっていたので仲が良くて、「演劇研究会辞めたんですよ」という話をしたら、「もったいないからじゃあ芝居やる?」って言ってくださって、しかた先生の演劇作りにくっついてギャラを頂いて活動することになったんです。そして大学を卒業したんですけど、卒業する時にどうするって話になったんですよ。うりんこに入るのかどうするのか。すいません、経緯が大分長いですが(笑)。

大丈夫です(笑)。まだだいぶありますか?

■中野:もうちょっとあります(笑)。で、勉強にはなったんですけど、児童演劇がやりたいジャンルじゃなかったんです。思ったのは、演劇では食べられないだろうと。そこで芸能事務所に入って、映像で売れて、舞台に移行していけば経済的に困らないだろう、という甘い考えを持ってオーディションを受ける生活にシフトしました。2年間に事務所に受かったり落ちたりと色々、東京に通っては最終までいって落ちる。ふたつくらい受かったんですけど、体質に合わなかったので。テレビが合わなかった。それで大いに悩んで、事務所をもっと探すべきか、どこか劇団に入るか、劇団を立てるか、それか諦めるか。4択だ。ただふっと高校の時の先輩を思い出したんです。とても輝いていて、いつも相談していた人だったから、いま何やってるんだろうと思ったんです。で、違う大阪の先輩に携帯を教えてもらってかけたら出てくれたんです。「俺、知らない電話番号出ないんだけど」。偶然出ちゃったんです。どうしようか迷っているという話をしたら、先輩も「そういう年齢だよね」と。「ぼくも実は劇団を畳もうかと思っている」。大学を卒業してすぐだったので3年経っていたんですけど、「ちょっと待ってくださいよ」という話になって(笑)。輝いている時を知っている訳だから、作演出に向いているかどうかは分からないですけど、高校の時に役者として素敵だったからもう少し続けて欲しかった。だから「止めないで。わたしも全く同じことしますから。芝居をやって、脚本演出もやって役者もやります。なのでもうちょっと頑張ってくれませんか」と言って、立てることになっちゃたんです(笑)。そういう流れなので、勢いですね。それで皆に声をかけたら集まったんですよね。

色々な偶然がそこにあったのですね。

■中野:いままでも止めようと思ったことは何回もあるし、行き詰まった感を感じたこともあったんです。でもその度に面白いくらい奇跡が起こる。それで10年やらせていただいているんです。

その際に作ることになったのが劇団上海自転車。

■中野:はいそうです。

劇団名の由来を教えてください。

■中野:それはもう本当適当で(笑)。どうしようかなと思った時に自転車でおじさんがパーッと通り過ぎていったんです。自転車だなって思って。自転車と言えば上海だな。くっつけただけ。いくつか候補はあったんですけど。

それを教えてください。

■中野:その時に書いた台本の中に『九分九厘』、芸人が出てくるんです。まだ売れてない二人組が。

漢字が好きなんでしょうか。

■中野:そうですね、漢字が多い。あとは『雪山エクスプレス』。全く意味のない言葉の羅列とかが好きで。

その中で選んだのが劇団上海自転車。

■中野:はい。よく理由を求められるじゃないですか。その時は、「自分で漕ぐのやめると止まるでしょ」。努力し続ければ自転車は走ります。ガソリンいらないし。

舞台というのは個人力の集積

戯曲のアイデアはどのようなところから生まれますか。

■中野:音楽とか読書したり。今みたいにこうやって話したりしていると。なにか刺激を受けた時にそれをそのまま自分の中で咀嚼をして、結晶化して、また世の中に問いただす。それが行われているだけなので、例えばなにも感じなかったりとか、なにも伝えたいことがその時になければ書かないんだと思うんです。仕事になればそういう訳にはいかないんですけど。

仕事でどうしても書かなきゃいけない、でも書きたくない。そういう時は。

■中野:それは悶絶して。大体プロデューサーさんが「こういうテーマで」と言ってくるじゃないですか。家族愛だとかなんだとか。それに関わる作品を観るしかないですね。

中野さんの中で、こういう方向性の作品が多い、というのはありますか。

■中野:わたしは基本的には、非日常を描いて日常を書く。基本的にリアルなんですけど、リアルの中にちょっとファンタジーが入っている、という傾向。完全なリアルじゃない。例えばタイムスリップするだとか、時間が過去に戻ったりするというのは頻繁に行われている。笑いの要素もあるんですけど、どっちかというと切なくなる。というのが多いですね。それを押し付けがましくなくというか。

演出の際に気を付けていることはありますか。

■中野:会社でもなんでもそうだと思うんですけど、舞台というのは個人力の集積なんですね。それをまず潰さないようにというのをとても気を付けていて、作品ありきではあるんですけど、でもそこにあまり縛りすぎないようにはしています。会社で言うと、企画会議するじゃないですか。企画会議の時って役に立とうが立つまいがとにかくアイデアを出していこうと。あれいいねこれいいね、とにかくなんでもOK。その中で、具体的に実現可能なもの、「それは今回のテーマに合っているのか」とかで採用していく。演出の時もそれに近い作業をやっているんですね。なんでもいいからやっていいよと言う。それは役者に責任を持たせることでもあるんですね。ああしてというと、考えることを止めるじゃないですか。「あの人やりたいことがはっきりしてるんだからあの人に任せておいて言われた通りにやろう」という体制にしていっちゃうと枯れてしまいます。全体的に。本番にギャグが滑っただなんだという時に、自分じゃなくて人のせいにする癖になりますよ。とにかく好きなように、枝だとすると伸びてもらって、それをささっと払う作業をするのが演出の仕事だと思っていて、言葉に関してもわたしは台本を書いてますけど、ここには凄い意味が込められているという以外のことに関して、例えばちょっと言い回しが変わったことに関してそれは咎めないです。例えば「うちの会社は」というのと「ここの会社は」というのは全然ニュアンス違いますよね。

違いますね。

■中野:愛情の籠り方。こういう差を出されると困るんです。けど、そうじゃない部分であれば、ある程度は緩くしてあります。また、バックボーンを大事にしてもらうようにしていますね。役の気持ちを考えるというと語弊があるんですけど、同じ状況に置かれたとしても、その人の育った環境だったりバックボーンで反応が違うじゃないですか。怒り出すのか泣き出すのか。怒り方にしても大声を出す人と静かに内向的に怒る人もいるし、変わってくる。それはバックボーンだから、どういう状況に置かれているのかを考えてもらって、後は一緒に出ている人との関係性を大事に。上下関係だったり、どれくらいの歴史があるのかとか。あとその台詞は誰に向かって行われているのかとか。矢印。そういうのを考えてもらうということは気を付けています。慣れていない人には履歴書を書いてもらうようにしています。

それは非常にいいアイデアですね。

■中野:お互いに持ち寄って、この人はこういう性格だからここの台本ではこういう言い方をするんじゃないのかとか。書いてきて、方向性を固めていく。履歴書が面倒臭かったらインタビューという手もあります。

演出家として必要な要素はなんだと思いますか。

■中野:まずはバランス感覚だと思うんですけど、全てのものに対するバランス感覚。あとは、自分を含んだ、人を舐めないということ、だと思います。役者を舐めない。自分のことであれば自分を信用する。自分のセンス。イデアを信じる。けれども、これはわたしの理念ですけど、伝わらないと意味がないとは思っています。ステレオタイプになってはいけないんですけれども。そこは芸術家とエンターテイメントの違いだと思います。わたしは分からないならそれでいいわというタイプではないから、そうするとある程度のバランス感覚は必要だと思う。伝わっているのかを客観的に見られているのかということと、ステレオタイプのように迎合する作り方というのは絶対違うと思う。それはわたしでなくていいです、作り手が。だから自分のイデアがブレてはいけない。他に影響されてはいけない部分は持ってなくてはいけない。あとは役者を信じることができるか。役者を舐めないことですよね。演出をやってる人は性格的にも教えてやってる的な感覚に、錯覚に陥ることがあるんですけど、そこに陥ってはいけない。別に偉い訳じゃない。役者は役者で素晴らしい可能性を持っている人たちの集まりだから。任せるものは大きいほど良いと思うんです。そういう意味で舐めない。役者の能力を舐めない。それからもうひとつ大事なのは、お客さんを舐めない。お客さんの力を舐めないということ。説明し過ぎない。

ここまで説明しないと分からないだろ、というような。

■中野:なるべく無駄を省いて、お客さんとの個々の経験だったり想像力だったりに委ねることができる作品を作る。それが大事かなと思っている。あと、これは個人的なものですけど、なんらかの部分に求心力がないといけないと思う。それは別に何処でもよくて、センスでもいいし、インテリジェンスでもいいし、愛嬌だったり性格だったりなんでもいいんです。人望があるとか。

それでも好きでいられるかどうか

一緒に舞台を作るうえで、役者に求める能力はありますか。

■中野:こちらも基本的にバランス感覚はあって欲しいんですけど、最も基本的なことを言うと、心底好きかどうかというのはもの凄い大事で、役者をやることそのものを。やくざな人というのはとても多くて、構わないんですけどきっかけは別に、そこの裏に地味な部分があるということを重々承知した上で、それでも好きでいられるかどうか。基本的なことを言うと身体作りだったりということを日々積み重ねる。発声練習とか。それだけじゃなくて、役者やっていない期間、何者でもない期間というのがある。そこを我慢できるか。その地味な部分。出てる時は「今度この舞台やります。稽古やってます。可愛いでしょ、格好いいでしょ。役者なんだよ」という。大きい声で言える。でも仕事がない期間は絶対ある訳で、そこを我慢できるかどうか。地味な部分ですよね。という忍耐力。そして、自分以外の人のことを考えられるかどうか。それはシーン作りにも影響してくることで、そのカンパニーの中での自分の役割を考えることができるというのは、自分と他者を考えることができるかどうかということ。この人はこういう役割がある、ならぼくはこういう役割と分けて考えられる人。自分ばかり前に出ようとする人は作品を壊すので。

最近では東京にも活動の場を広げていますが、東京と名古屋の演劇環境の違いがあれば教えてください。

■中野:お客さんの好む演劇のタイプが違うなと思います。わたしは関西人だから特に感じるんですけど、思考が違うというか。東京には全てのジャンルのものが生きているんですよ。地方はその比較的流行っているものが流れてくる。東京って最先端のものもある。でもアングラも暗黒舞踏もエログロもなんでもあるんですね。それがなんとか生き残っていける環境があったりして。また、東京の人が地方に対する印象というのは、よく言われるのは、「地方のほうがやりやすいよね」と。それは地方のほうが劇団数が少ないから目立つという意味もあるし、「そんな大したレベルじゃないからちょろいよね」という意味合いもあると思うんです。それは悔しいところですね。

演劇のどこに魅力を感じていますか。

■中野:わたしは思っていることを人に正確に伝えることが苦手な人で、伝えたいことの確信部分がここだとしても、どうしてもここを伝えることができなくて、それに近い言葉で表現せざるを得ないもどかしさというのが。それを思った時に、言葉を尽くすよりも、演劇で再現したほうが実は真実に近いことが表現できる。ような気がする。あとは、大きいことを言ってしまうようですけど、芝居でしか社会に貢献できないというのがあって。あの、会社に向いてないんです。なので、自分の活躍の場を求めた時に演劇だったという感じですね。役者や演出、脚本もやっていて、それぞれに魅力があるので難しいですけどね。全てに共通して言えるのはリアルに反応が返ってくる。リアルに反応が返ってくる分、自分の考えの良い悪いがはっきり分かる。そうすると生きてる気がしますよね。だから自己存在証明でしかないのかもしれないですね。世の中の役に立ちたいというのはあるんですけど、もっともっと追求して考えていくと、そういうことでしかなくて。わたしの場合はなんとか社会と関わりを持っていたくて、でも会社は合わないしどうなんだと。とりあえず自分のやれることは演劇でしかなかった。演劇をやって社会と触れている自分が嬉しい。

人とものを作るという作業は好きですか。

■中野:自分の為だけにやるのって難しくないですか。これは実際の話なんですけど、女性の役者仲間に「わたしは一旦演劇から離れる。けど必ず戻ってくる。戻って来た時の第一発目にあなたの台本をやりたい。台本をギャラを払うのでちゃんと書いておいて欲しい。1年後が期限だよ」といわれました。彼女の為に書くエネルギーは全然違うんですよ。凄いいいもの作ろうってやっぱり思うんですよ。それは彼女の為だからであって、自分だけの為になにかをやることは限界があって、自分は芝居大好きで一生やっていきたいと思うんですけど、その気持ちだけではたぶん続かないと思うんですよ。そこに人が喜ぶからというのがあって、それがエネルギーになるから。テレビとか映像は好きじゃなかったんですけど、出ると喜ぶんですよね。周りの人が凄い。そうすると、あ、ちょっと出ようかなってなってくるんですよね。

自己PRがうまくなくて

演劇でどのようなことを表現したいですか。

■中野:わたしは凄い気分屋なので決まっていなくて、その時リアルタイムで刺激を受けたことを表現する。だからその時興味を持ったものを。それを観てもらったことでポジティブに捉えることができるようになるだとか、人と関わることはどういうことなのかとか、生きていくとはどういうことなのか、ちらっと考えるられるような。だから問題定義ができるものでありたい。それはどんな枠で表現するのか、どんなテーマでやるのかはその時興味が向いたものでしかないので。

興味を持つものがあって、そこになにか問題定義をしていく。

■中野:核になる部分は必要ですよね。その核になる部分がわたしが問題定義できる部分だと思う。お客さんが何視点で観ればいいのか分からない芝居は不親切だと思う。何視点というのが、本筋、わたしの大事な所なんだと思います。ただそれを拾ってもらえなかったとしても、お客さんがその時置かれている状況によって受け取り方が変わってきちゃうから、ズレたとしても、お客さんが勝手に学んで帰ってくれればいいと思うし。見方は強要しないです。なんだったの、というのはやりたくない。映画でやりゃいいじゃんというのはやりたくない。難しいですよね。すいませんなんか(笑)。

いえいえ(笑)。

■中野:自己PRがうまくなくて。劇団を立てるというのを選択肢に入れていたのはそこなんですよ。オーディション受ける時に自己PRしてくださいっていうのがあるじゃないですか。じゃあ自分がどこまでできるのかというのを実際に作品作って観せたほうが早いじゃんというのを思ったんですよ。だから劇団を旗揚げする、が選択肢に入っていたんだと思うんですよ。「ここまでできますよ」と。

でもそれで劇団立ち上げちゃうのも凄いですね。

■中野:若かったんだと思います(笑)。

演劇人口を増やしていきたい

コラムやエッセイ、演技指導等、幅広い活動をされていますが、これから特に力を入れていきたいものを教えてください。

■中野:やることに関しては全部全力投球したいんですけど、その先の目標としては演劇人口を増やしていきたいというのがあって、その方法としてふたつ自分の中では考えていて、ひとつはいま知立でやっている市民劇というのがあるんですが、プロとアマチュアが共同してやる舞台をコンセプトにやっている。毎年毎年メインはプロを呼んでたんです。けれども、ちょっと主旨とズレてるかなと思った。今回は全員が全員アマチュアで、メインも主役もアマチュアで、初舞台。それでもここまでやれますよというのがやりたくて。そういう風に草の根的ですけど、経験していただけるような場を提供していきたいというのが一個ですね。たぶんやってみたいけど、機会がない、場所がない、やり方が分からないという人結構多いと思うんです。

多いと思います。

■中野:だからお膳立てをして演劇をやりやすい環境にしていきたいというのは思っています。その為のワークショップを増やしていきたいと思うし、あとは演劇学校ができるといいのになと思っていて、海外にはたくさんあるんですが。演劇学校があるとなにがいいのかって、別に役者にならなくったっていいんですよね。ひととおり勉強して、卒業して普通の職業についたっていいんですよ。職業についた人たちが観に行ってくれる。だから結果お客さんが増えるじゃないですか。

そして演劇人口が広がっていく。

■中野:はい。そういう形が理想だと思っていて、学校できんかなとちょっとうっすら思ってるんですけど(笑)。もういっこは、自分がクリエイターとして演出なり脚本なり、役者なり頑張っていきたい。わたしがやってる姿を観て「やってみたい」って思ってもらえるようなクリエイターになりたい。その2点からのアプローチをして、結果演劇人口が増えればとても嬉しいと思います。その「得体の知れないもの感」をとにかく払拭したいですね。絶対未だに気持ち悪いと思っている人多いと思うんですよ。全然違うよというのを。わたしが売れればまだ芽が出ていないような素晴らしい役者さんがたくさんいて、その人たちをどんどん有名にしていくことができる。昔は所謂有名人じゃなくても食べていければいいと思っていた、それじゃ演劇人口増えないよと。自分がまず有名にならないと。だから方向転換しましたね。

このインタビューがそのきっかけになれると嬉しいです。今日はありがとうございました。

■中野:ありがとうございました。