仙頭武則さん
これまでにプロデューサーとして様々な映画に携り、多くの賞を受賞されてきた仙頭武則さん。しばらく映画から離れていたということですが、この度監督として帰って来られました。ブランクがあるにも関わらず、これまでの経験と知識、思考を背景とした絶対的な自信は、周りの人間を惹き付けて止まないようです。

小学校5年生で『ゴッドファーザー』を観せられました

仙頭さんが映画に関わったを始めたきっかけを教えてください。

■仙頭武則さん(以下仙頭):5歳の時にジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』を映画館で観て、たぶんそこで初めて映画を観たと自覚したのだと思います。

それは連れられて。

■仙頭:母親に。両親が映画好きだったので。映画を見せることが教育の一環のような家庭だったんですね。父親が外国航路の大型船の船長をしていて、昔は映画の公開が半年くらい海外と時間差がある訳で。だから先に父が観てる訳です。こんなのがあった、あんなのがあったって。「我が谷は緑なりき」は夫婦の思い出の映画だったのかもしれないですが、まさに5歳くらいの子が出てくるので、観せておこうと。小学校5年生で『ゴッドファーザー』を観せられました。こんなの観せていいのかと後から思いましたけど(笑)。親父が「コッポラや、覚えておけ!」と。あれを観て、いいんだって思っちゃったんです。それがぼくのその後の信念になっていると思うんです。何歳でも映画は観れる。同じくらいの年齢の子が出ていれば、アニメじゃなくても観れる。

映画の制作に関わったきっかけを教えてください。

■仙頭:中学くらいの時に、当時は8ミリフィルムで、シングル8が家にあって、勝手に回していた。小学生の頃からかもしれない。撮って繋ぐ。そこで学びましたね。誰にも教わることなく。機械があって、撮る。こう撮ると、こう映るって。勝手に近所のカメラ屋さんに持っていって、現像代は親が払ってくれていたらしいです。親は後悔したみたいですけどね。普通に堅気のサラリーマンになってくれたら良かったのにって(笑)。

プロデューサーをされるきっかけはなんだったのでしょうか。

■仙頭:大学の時に自主映画をやっていて、そこからプロになるかならないか迷っていたんです。バイトでも現場をやっていたので。でも結局普通のサラリーマンをやっていたんですよ、6年くらい。それから『WOWOW』という会社が出来た時に営業で入社しました。その後、金を集めて映画を作り始めた。WOWOWで放送する為の短編映画です。一応会社からOK出ていましたけど、もの凄い軋轢の中でやっていました。

ぼくにとっては原点回帰です

今回(『nothing parts 71』)が初監督作品ということですが、監督をされようと思ったのはどうしてでしょうか。

■仙頭:本当は映画を辞めようと思って沖縄に行ったんですよ。こんなことはもうやってられないと。でも、沖縄にも映画好きの人たちが沢山いる訳ですよ。やりたがっている人たちが。そんな人たちが段々周りに集まってきて。中学生が監督する映画があって、それを手伝ってくれと言われてやったんです。「やぎの冒険」という作品で公開されました。それでハッとしたんです。中学生でも分かっている子は分かっている。その直後、お金は少ないけどやりませんかって。沖縄に来て4年経っていたし、ぼくなりに感じたことを形にはしておこうと。ちょうどいいタイミングだから形にしておこうと。ぼくにとっては原点回帰です。

そこで敢えてプロデューサーではなく、監督をされようと思ったのはどうしてなのでしょうか。

■仙頭:最近の日本映画のポスターを見ると、会社の名前も乗っていない。製作委員会とか言って。下手すりゃ監督の名前すらきちんと書いていない。そういうもんじゃない、映画は。それで嫌になったんですけどね。だからキチンとやってみよう、もう一度と思ったんです。自分にもリセットするために。

つまり普遍的なものです

これまでに影響を受けた映画や人物をおしえてください。

■仙頭:映画を作ろうと思ったのは、中学3年の時に観た『タクシードライバー』なんですよ。それでカンヌを意識した。『カンヌ国際映画祭』とあって、ハリウッドと全然違うすごいところもあるんだなって思った。それが一番大きいですね。人物で言うと、ヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュ、テオ・アンゲロプロス。あとは日本では石井聰互さん。それと大島渚さん、崔洋一さんかな。しょっちゅう怒られていたので。「お前らがしっかりせい」と。

自身の関わる作品について、特徴やこだわりがあれば教えてください。

■仙頭:『ヒットをさせよう』と全く思っていない。当てる気がないからあいつは駄目なんだ、芸術映画ばかりつくりやがって、と言われていたんですけどね、以前は。興行的な、そういう瞬間的なことには興味がない。というのも、映画というのは、残るもの。歴史で淘汰されるべきもの。だから残るものを作りたい。普遍的でなければいけない。当たる映画を作ろうとするよりも、いい映画を作ろうとはいつも心掛けていました。映画って時間が掛かるので、作り始めてから出来上がるまで時間が掛かるんです。ですから、いま起こっていることをやるだけ無駄。何十年何百年も人間が感じていることが題材になる。つまり普遍的なものです。

演技指導の際に気を付けていること、役者に大事にして欲しいことがあれば教えてください。

■仙頭:内面は映らない。どういう気持ちですかと問われると思うのですが、そんなことは考えなくてよろしい。どう見えるかだけ。「そこから3歩歩け、で、振り返る」「4歩じゃなくて3歩なんだ」っていうこと。「1、2、3と頭で数えてから振り返れ」とか。どんな気持ちで振り返るとかは一切関係ない。それは映っていない。あとは、準備やリハで別のことを言っておいて、突然、本番で違うことをやらせる。例えば、劇中で歌うシーンがあったとして、当日の朝いきなり歌詞を見せて、曲を流して今覚えろと。その方が変な癖が付かない。慌てていることも含め。その動揺を撮りたい。

感性よりは考え抜いた末の集約であるべき

監督をしていて大変なことがあれば教えてください。

■仙頭:ほとんどのスタッフが映画の経験が初めてだったので、何から何まで一人でやらないといけなかった。でもプロデューサーよりは簡単だった。こんなに楽だったんだ、やっぱりと。監督はリスクがない。プロデューサーの場合、規模が大きくなってくると、雨が降っただけで何百万と消える訳です。誰のせいでもなく。誰も何もしてくれない。でもそこまで考えて用意しておかないといけない。ありとあらゆるシミュレーションをした上でやらないといけない。今回で言えばプロデューサーという名前が付いている人も初体験だから、結局ぼくが時計を見ながら演出する。「急げ」って。なんで俺が言ってるんだろうなって(笑)。

一緒に活動をするうえで相手にこういう能力が合って欲しい、こういう人だと嬉しいというものはありますか。

■仙頭:どんな職業でもそうですけど、仕事というものは感性よりは考え抜いた末の集約であるべき。つまり考えられる人ですね。一所懸命考えられる人。意外に考えられる人が少ないので。『感性』ではなくて『悟性』。そっちの方が重要なんじゃないかってこの頃思う。それと知識。たくさん映画を観ていること。

そんな簡単に分かるようにやっていない

仙頭さんが思う映画の魅力、面白さはどこにあると思いますか。

■仙頭:辞めようと思っても結局辞めていないということは、他に考えられないということなんだと思います。映画は集団で作る究極の芸術だと思います。演劇もそうでしょうけど、演劇はある意味では瞬間的なもの。映画は瞬間の連続性を蒸着する、できる。

仙頭さんが映画で表現したいことはなんでしょうか。

■仙頭:面白ければいい。ただ、面白さの意味が違うんだろうなとは思う。あらゆる演劇にしても映画にしても、最近は分かる、分からないで判断する。でも、極端に言えば分からなくても面白いものはある。分かる必要もないし。傲慢に言ってしまえば、そんな簡単に分かるようにやっていない。大の大人が七転八倒してやってる訳です。一回二回観て分かるようなことじゃやってない。 そうじゃなきゃ何十人の大人がよってたかってやってる甲斐もないし。もうひとつはリアリティですね。今回で言えば沖縄であること。青い空、青い海だけではない。普遍的と言いつつも、今回は今ある問題を敢えて題材にしている。基地問題を普遍的にしてはいけないんですよ。ずっとあることになってしまうから。これを撮影したのは2010年なんですけど、この前、直しも含めて観たら全く状況が変わってなくてこれはまずいと思ったくらい。今までと大きく違う事をやっているな、と。

撮り始めてから一度中止になったとお伺いしたのですが、その経緯を教えて頂ければ。

■仙頭:撮影は終わったんですよ。出来たんですよ、3時間8分の作品が。全て消えたんですよ。データが。全て。唖然としましたね。そんなことが起こるものなのかと。

全部撮り直しになったんでしょうか。

■仙頭:1年半くらい掛かって復旧して、8割くらいデータが戻りました。それを再編集して。沖縄公開版は2時間27分。『呪われた』っていうのはそういうことです。もう諦めていたんですけどね。配給とかも時が経って熱が冷めて降りましたから。こうなったら全部自力でやろうかと。まずは沖縄でやって、次に名古屋で。東京も決まっているんですけど、名古屋先行です。新しい形式をやってみたかった。名古屋版は2時間18分。東京版は2時間(笑)。

日本の縮図が沖縄にある

他に伝えておきたいことがあれば。

■仙頭:今の日本には何事も他人事のような雰囲気がある。沖縄のことも住んでみたら全然違うんですよ。他人事なんかじゃない。日本の縮図が沖縄にある。それを分かって貰えればと思う。特に今回の作品は311を跨いだからなおさらです。原発の問題も基地問題と構造がそっくりなんです。でも大半の本土の人が持つ沖縄のイメージは全く逆で、観光地、楽園のように言われていますけど、全然そんなところじゃない。だからといって映画が解決出来る訳ではないですが。ただこうですよと提示はしておきたかった。こんなこともあるんですよと。だからまず沖縄で公開してみて、「リアル過ぎて困る」「こんなことを映画にするな」「よくここまでやってくれた」と言われ、これでいいんだなと思った。お気楽な南の島の人達では決してないんですよ。沖縄でも嫌がる人は居た。マスコミが全く触れようとしなかった。今はそういうことに蓋をしたがる。綺麗にまとめたがる。でも映画がそうなってはいけない。敢えてやらないと。

本日はありがとうございました。

■仙頭:ありがとうございました。