室屋和美さん
第10回AAF戯曲賞を受賞された、兵庫の劇作家さんです。自虐的な部分もありつつ、軽く毒舌だったり、真面目だったり、ひたむきだったり、短時間で色々な面が見られて非常に面白い方でした。
テレビガイドに蛍光ペンを引いているような人

室屋さんが演劇を始めたきっかけを教えてください。

■室屋和美さん(以下室屋):わたしは演劇を始めるまでは非常に内向的な人でして、ラジオを聞いてハガキを黙々と書いたりですね、夜中のサンテレビを必死になって見たり、テレビガイドに蛍光ペンを引いているような人でした。昔はお笑い芸人さんになりたいと思ってたんです。吉本新喜劇が好きだったんですね。で、中学3年生の時の文化祭で『時間泥棒』という作品をやったんですけど、もの凄く頭の悪い時間銀行の行員の役で、ハリセンで頭叩かれたり、分かりやすいボケとツッコミ。それでのめり込んでハマったんですね。それから高校生になって演劇部にそのまま入って。名前だけ貸してる顧問の先生が多い中、幸運というかなんというか、もの凄く顧問の先生が熱心で、パイプ借りて来て照明を吊って、裏方も全部自分でやって学校内で公演しましょうと。分かりやすく言うと甲子園で頑張る野球少年みたいにのめり込んだ。また、その時にですね、『LOVE THE WORLD』という社会人劇団がちょうど劇団員募集をしていまして。中学の時にシャトナーさんのお芝居を何度か拝見していましたし、漠然と社会人劇団に触れてみたいという思いもあって、平行して入団しまして。学校が終わったら電車に乗って梅田の稽古場に行って、参加して、終電で帰るという。親は反対しましたけど。

高校演劇と両立出来たのでしょうか。

■室屋:いやあ出来る訳ないですよね(笑)。高校演劇は自分で本を書かないといけないですし、社会人劇団の方はなかなか本が来ない状況。なので、いつでも完璧に台詞入れられる状態じゃないとって、身体だけはとにかく鍛えて待ってた。そういう時に掛け持ちしている自分を呪うんです。まあ両立出来なかったので、案の定。そして大学は、担任の先生や演劇部の顧問の先生に「近畿大学の演劇専攻の試験を受けたらどうですか」と勧められて。それで受験して通うことになりまして。

断然外でやるほうが面白いなって

■室屋:役者のコースと劇作コースがあるんですが、劇作のコースに入りまして。その時はどちらに進むか漠然としていたんですが、劇作の方が倍率が低かった。そして近畿大学に入り、演劇を勉強したんですけれども、英語や国語の一般教養を勉強しながら、学校の持ち物の劇場でやって。観にくる人は近大生や演劇大好きな人で、お父さんとお母さんが観に来る。チケット料金はタダです。台本は授業で書いたやつをそのままやって、アンケートには『おつかれさま〜』と書かれている。わたしはそれを4年間やってどうなるんだろうと。凄く本当に思ってですね。学校でやる意味あるのかと。制作班というスタッフの勉強もしたんですけど、看板をどうやって借りるか、パイプ椅子をどうやって借りるか、守衛さんにハンコ貰いましょうって勉強をするんですね。身に付くこともあるんですけど、そういうことが8割9割だったので。それはいかんなと思ったし、大学生のキャピキャピした感じも付いていけなかったので、2年で辞めました。また、在学中に『国境なき意志団』という劇団をやってるんですけど、6人ぐらいの劇団で。劇場の借り方も分かりません。けど、バイトしようとか。凄く面白かったです。断然外でやるほうが面白いなって。皆ももったいないなって思いました。大学はやりたくないことたくさんありますからね。ドラを叩いて、「自由に表現してください」とか。それは役に立つかもしれないけど、わたしはいらないと思ったので。2作品やりました。でも書く人がやめたので、大学を。そして流され流され、『劇団八時半』に。その後は神戸で2〜3年会社員やったりしてたんですよ。真面目な真人間になるぞと、うどん屋の社員をやっていました。演劇は観たくても観れないし、朝8時に起きて夜12時に寝るぞって生活。今はフリーターですけど。

フリーターをやりながら劇作を。

■室屋:そうですね。そのうどん屋を辞めて書いたのが『どこか行く舟』なんです。やっと辿り着いたんです。書いた当時はフリーだったんですけど、今年からは『コトリ会議』という大阪の劇団に所属しています。

日常は淀んでます

これまでに影響を受けた作品や人物を教えてください。

■室屋:これは鈴江さんです。間違いないです。漫画が好きなので、漫画に影響されているというのも凄くあるんですけど。

どういう漫画が好きなのでしょうか。

■室屋:内田春菊さんとか、瀧波ユカリさんとか。大体女の方が裸で出るよってものなんですけど(笑)。切り取り方が凄い好きなんですよね。冷蔵庫の前で女の人が半分裸でペットボトル2リットルを出してゴボゴボ飲むとか。わたし泣いて読んじゃうんですけど。

生活感が出ているものが好きそうですね。

■室屋:はい、生活感は大事にしていますね。

『どこか行く舟』を読んで、日常をベースにして書かれているという印象を受けました。

■室屋:日常は淀んでますというのが凄く好きで。そういうので言うと、写真家で宮下マキさんて方がいるんですね。その方が『部屋と下着』という写真集を出されていて、下着姿の女性が子供を抱きかかえていて、周りにおもちゃがあるとか、風景だけなんですけど、「この人凄くわたしのやりたいことしてる」って。説得力がある1枚。いいですよ。大学の時に竹内銃一郎さんの制作補佐をしていて、チラシのアイデアはないかと女性の写真を探していたらその方のウェブサイトに辿り着いて。女の人が部屋にいるだけなんですけど、ひとつ大きなマンションがあって、全部に明かりが点いていて、その一個一個に人に生活があって、その一個一個が淀んでいて、ひとつひとつの写真でそれを呼び起こさせるみたいな。もう自分だとしか思えないですね。世の悲しい女はわたしにしか思えない。でも違うんですよ。「わたしは悲しい」って言う人はほんとは悲しくないんですよ。本当に悲しい人って一個通り過ぎてぼーっとしてて。「わたし鬱です」なんて絶対言わない。心がドーナツみたいになってると思うんですけど。心に穴が空いて、「なんだこの穴」って思って、気持ち悪い。でも体調悪くないから仕事は行ったほうがいい、みたいな感じで。虚無。本当に悲しい人ってそうかな。

誰でもいつでもわたしも

自身の戯曲に特徴や癖があれば教えてください。

■室屋:癖は少ないかなと思います。癖を出来るだけ削ぎ落として書きたいと思っています。癖があるとするなら、人間そのものの歪んで見える部分が癖かもしれません。上っ面で喋っている感じだとか。そういうやらしい感じが癖になるかもしれないですけど。強盗した後とかにパチンコに行く犯人とかいますが、凄い悪いことしたんだけど、それでもまだ正気でいたいので、パチンコ行こうって正気保っていると思うんですよね。世間の人からしたら「パチンコなんて凄く悪い奴」だって思うんでしょうけど、それは良心の呵責と戦っているんだと思うんです。でも普段生活している人もそれとなんら変わらないと思うんです。ほぼ近い、平行線のギリギリのところにあって。もう誰でもいつでもわたしもすぐそこになり得る。なるべくそのギリギリの人を書きたいと思っているので。危なっかしい。危なっかしいけど、表に出たら一見不気味な人を書くのが好きなので、癖のある人が出るなというのはあります。でも基本的には無駄無くシンプルに書きたいなと思っているので。

戯曲のアイデアはどのようなところから生まれますか。

■室屋:3面記事とかが多いです。週刊誌とかも。結構目に付いたら買っています。あとはインターネットのパッと見れるニュースとか。ああいうの気になるんですね。どこか行く舟も、『元カレとするリサイクルセックス』、なんじゃそれみたいな感じのニュースを見て、嘆きながらもほんとそうだよねって。きっかけにはなりますよね。それ一本で書こうとはしないですけど。その背景に皆ふわふわしてるよね、というのは書こうとしています。とかですね。「皆こんなこと気にしないよな」って引いて見ている部分はあります。日常的なことからは選び取ろうとしていますね。気になったらメモしたりして後で「なんだろこれ」ってなったりしますけど。

健康で最低限人を思いやれる

役者としても活動しているとのことですが、役者として大事にしていることがあれば教えてください。

■室屋:役者はうまくないと思ってますので、大きい声出そうとかよりもですね、なるべく嘘付かない。心と身体で。わたしという人をベースに、わたしの言葉で。自然な。演出家さんがいいよって言うなら台詞も変えたい感じですね。自分の淀みない言葉で言いたいよってことなので。あとは健康であること。最低限だけ守ろうって思ってますので。健康で最低限人を思いやれる。あとは空気感ですね。間とか。人が演技している時には休まないように。迷惑掛けません。皆瞬きしていないのに、自分が溜息ついたらおしまいと思ってますので。全体の空気感は大事にしよう、最低限それだけは守ろう。役者としてそれだけは守ろう。

演出される時にもそこは大事にする。

■室屋:そうですね。皆でやれよっていうのは言います。わたしもやるからよって。

一緒に活動するうえで相手に持っていて欲しい能力や要素があれば教えてください。

■室屋:まず健康であること。わたしは役者が人物の背景を突き詰めて考えて、こういう生まれでこういう背景で親はこういう人で子供はこうでとか、わたしは考えなくていいと思ってます。演出は勉強していないので勉強不足なんですけど、結果的にお客さんがこうだと思えばそれがほんまだと思っている人なので。だから例えば「わたし辛いのよ」という台詞があったとして、この人の背景がこうでこうでというプロセスが必要かというとそうでもなくて、給料日前だから辛い、というところに置き換えてもいいと思います。お客さんがほんまやと思ったらいいんで。あと、さりげなさの人ですね。うまさとかは別に求めてないので。「そういえばこの人役者さんだったな」と思えるさりげなさがあったらいいなと思いますけど、難しいですね。役者は嫌いですね、なににつけても。だって本当じゃないもんと思ってしまうので。本当にリアルなことをやりたい。

日常から離れた場面も劇中にはあると思いますが、そこをどうさりげない芝居に繋げていくのでしょうか。

■室屋:全く自分とは違う人、状況を演じるってことですよね。自分は出来るだけ身近なところを書くようにしてますので。でもそういう状況はあります。そこはもう役に歩み寄るしかないですよね。役の人格と自分が繋がるギリギリを探すしかない。あくまでも自分が歩み寄るという考え方なので。憑依型のなんかをやりましょうというのはやだなって。酔っちゃってるねってならないようにしてるので。演劇であるってことを忘れさせたら嬉しいと思っているので。一回あったんですよね。コントみたいなお芝居をして。非常に難しかった。そこは考えて考えて歩み寄る。丁寧な作業をしなきゃいけないなって思います。役者も難しいですね。緊張感をどう保つかっていうのも悩んでます。

一番ボディーに来るのは演劇だなって

演劇の魅力や面白さをどういうところに感じますか。

■室屋:演劇は説得力があると思ってるんですよ。あとは時間の縛りがあるということ。その儚さが好きというか。でもその代わり絶対に失敗できないと思ってるんですよ。2時間の芝居やって2時間つまらなかったら罪だなと思っていて。トイレにも行けないし。そんな押し付けがましい芸術ある、って感じ。でも自分のやりたいことが成功した時に一番説得力があるのは絶対演劇だと思う。本は何回でも読めますけど、芝居は一回だけですから。体感時間の10分が台本でどうとでもなりますよね。凄く面白い台本だったら「ああ終わらないで終わらないで行かないで」って幕が閉まったらがっかりして。一番ボディーに来るのは演劇だなって。みぞおち。どんな表現でも良かったんですけど、芝居になっていましたね。選んで選んで。流されつつ。まだ流されてますけど。

ありがとうございました。

■室屋:ありがとうございました。