天野天街さん
言わずと知れた、少年王者舘主宰の天野天街さん。その独特の世界観で、演劇だけではなく、映像やグラフィックデザインでも高い評価を得られている方です。緊張して臨んだインタビューでしたが、とても優しく丁寧に答えていただきました。

屈辱の限り

演劇を始めたきっかけを教えてください。

■天野天街さん(以下天野):元々演劇っていうものには全然触れていなくて。毛嫌いって感じで。でも高校の同級生がアングラな演劇に目覚めて、中京大学で演劇部に入り、そこの『いかづち』という劇団の中で新しい劇団を作ろうってことになって。それが『紅十字舎』。で、それが旗揚げするってことになって、大学は別々だったんですけど、チラシと舞台美術を頼まれて。そして話しているうちについでに役者もやらないかって。内部に入ったことで、舞台の細かいこと、あれこれがみえてきた。でも役者として全然恥ずかしい状態で。

納得できなかった。

■天野:納得どころか、舞台に立つってことにもの凄く不自由だった。悔しかった。大学に入って映画とか撮ろうと思ってたんですけど、舞台っていうのはいわゆる総合芸術。色んな要素が集まったものだということに改めて気付いて。面白くなってきた。二本目は舞台美術と、出演したんだけど、幼虫の役という。身体ぐるぐる巻きで動かないという。屈辱の限り。

どんなお芝居だったのでしょうか。

■天野:『原色人間図鑑』。高校の同級生が作演出をやったんですけど、幼虫からサナギになって蝶になる直前(笑)。七ツ寺共同スタジオ中にキャベツを置いて食べまくるという芝居。役者の口の中血まみれ。

凄く観たいです。

■天野:音のテープしか残ってない。その頃は誰もビデオを持っていなかったから。皆が撮るようになったのは、83から4年頃かな。王者舘も84年くらいからしか映像は無い。音声の記録はありますけどね。

変な要素はいっぱいあった

そこから『劇団少年王者』に至る経緯を教えてください。

■天野:かいつまんで言うと、3本目も不甲斐ない結果に終わったんですけど、4本目で作演をした。それが『肉色都市(にくいろのまち)』。

その時に始めて本を書かれた。

■天野:はい。

初めて自ら作演をした感想はいかがでしたか。

■天野:それはもう、やり足りなく。ただ、それまでの2年くらい、毎月のように芝居観てて、そいつらとは違うことやりたかった。変わったこと。失敗作だったとは思いますが、変な要素はいっぱいあった。ただ、全くやり足りない。それからみんな卒業をしていく訳ですよ。神戸とか鳥取とか遠くから来ていたので、皆帰っていくんです。それで紅十字舎が空中分解した。劇団として宙ぶらりんの状態になってしまった。別に解散はしないんだけどって言いながら、解散みたいな状態になってしまって。それでそこの劇団にいた畑上計太って男がいて、「俺と組んで劇団やんねえか」って。こっちもやり足りないから、「じゃあやろうか」って。

そこで生まれたのが劇団少年王者。

■天野:そうです。そこで劇団員募集したら、中学校1年の娘がひとり引っ掛かって。劇団辞めた頃まだ20歳くらいだった(笑)。他のメンバーは別口から。色んな変わったことをやってる奴が集まってやろうということになった。愛知医大と愛知学院と名城大学と中部大学のメンバーで旗揚げ。男が6人と女の子がひとり。そういうような形で旗揚げしました。

集合的無意識

少年王者という劇団名はどのようにして決められたのでしょうか。

■天野:最初は『子宮睡眠』という劇団名でして、でも畑上君がぱっとしないなと。で、どうしようかなと思って本棚を見てたら山川惣治の『少年王者』があったんですね。背表紙。それでこれにしようかなと。だから山川惣治の少年王者ですね。

そこから劇団名が『少年王者舘』になったきっかけがあれば教えてください。

■天野:凄い簡単なことで、山川惣治から取ったんだけど、唐十郎が少年王者って小説も書いているし、なんかちょっと変えたいなって。2年くらい経って、今も舞台美術をやっている田岡一遠が参加したいって。イラストレーターでロゴもスゴイの。で、田岡さんがロゴ書くっていうから、じゃあ名前変えようって。ロゴ変えるなら違う劇団名にしようって。前の名前のほうがいいって皆に言われたりもしましたけど。

今は少年王者舘で定着していますね。

■天野:ジャカン?(それまでは「ソーメンおじや」といわれてました)

毎回公演タイトルには独自性がありますが、それらはどのようにして決めていくのでしょうか。

■天野:ぱっと浮かぶ。考えてどうっていうのは無いですね。深く考えない。

戯曲のアイデアは。

■天野:アイデアはぽんぽん出るんだけど、それが全体の構成になかなかむずびつかない。

前に少しお話させていただいた際、夢に関する話が多いとお話されていたのを覚えていますが、夢に対してこだわりがあるのでしょうか。

■天野:そうですね。夢というか、無意識。いわゆる集合的無意識ですね。あなたとわたしが繋がってよく分からなくなるみたいな。また、夢と言っても、人の言葉を借りるなら、胎児の夢とか、物質の夢とか、主体の無いものの夢とか。人類というか地球の夢であったりですね。形というものが存在しない界隈の夢。

シュールレアリズムの考え方

演出されるうえで一番気をつけていることはなんでしょうか。

■天野:気をつけることは、型に嵌めないで型に嵌める。だから劇団員には殆ど何も言わない。言葉っていうのは壊れやすい。確定しなきゃいけないことを、しない。両方ブレながらやるということで、なにがしかの化学変化が起こる。決めなきゃいけないこともあるんだろうけど、決めなきゃいけないと思わないようにする。いつでも変化ができる状態にしておく。これいいよね、でもこっちもある、ということを常に思っておく。

夕沈さんのダンスであるとか、映像であるとか、それらを融合していくうえで気をつけていることはありますか。

■天野:うまくいっているかどうかは置いておいて、全然違うものを交じらせる。シュールレアリズムの考え方ですね。これとこれはくっつかねえだろというものをくっつかせる。でもなかなかダイナミックなものにするのは難しい。お金がないせいにしたりしてますけど。アイデアを100%実現した試しがない。結局思っていたことと全然違うものが生まれてしまう。でも、だからやってるんだと思う。悔しいので。

一瞬先がどうなるか分からない

チラシのデザインは全て手作業とお聞きしましたが、どのような行程で進めているのでしょうか。

■天野:チラシ作りは凄く楽しい。全てを忘れられる。逃避にもなっている。書く前の息抜きと言うか、時間としては有効。うまく戯曲の執筆とは連動しないけど。チラシは凄く早い。

ラフ案から作成に入るのでしょうか。

■天野:ないんです。全くないです、何も。この素材とこの素材を、という感じでぼーっと考えていく。自分で描かない前提で作るって決めてあるので。素材を思い出したり、見つけたりした時に、これをメインにしようかと頭の中で考え、置いたりしていくうちに色と色が結合して、段々方向性が決まっていく。だから綱渡りみたいな。一瞬先がどうなるか分からない。今度の王者舘のチラシ(『超コンデンス』)はやべえんじゃないかと、宗教的で、相当客を選ぶんじゃないかと言われました。メインになる女神の素材の色合いが凄くいいから使ったんだけど、どんどん宗教的になっちゃった。そうなると止められない。こうしたい、じゃなくてそこから派生していくというやり方だから。でも自分でゼロからやってる訳じゃないから、そうやって作ることが出来る。ゼロからやると、枠がないから、凄く迷う。それで台本は書けないんですけど、コラージュの場合はそれをやらずにある程度決まったところから始まるから、何も決めてなくても早い。台本の場合は本当に迷うんですよ。馬鹿みたいに1文字選ぶだけで病的なくらい迷う。あっちいくかこっちいくかで4日間くらい何も書けない。

そら恐ろしい一編が出来ればよい

一緒になにか作っていくうえで、相手に持っていて欲しい能力はありますでしょうか。

■天野:ある想像力を共有できる人。つまり、こちらの強制ではなく、向こう側から来る想像力。こちらが掻き立てられるもの。相互作用ですね。何も言わずにそれが成されるといいなと思い、皆には何も言わないです。できるだけ何も言いたくない、というのがありますね。

これまで続けてこられた原動力を教えてください。

■天野:先程の話にも繋がるんですけど、お互いの無意識の共有が出来るような皆がいる限りつづけられる。

今後、天野さんが新たに取り組みたいことがあれば教えてください。映画『必殺するめ固め』の進展はどうでしょうか。

■天野:まだ止まってる状態ですね。派手にやりたいんですけどね。絶対に死ぬまでには撮りたいですね。そら恐ろしい一編が出来ればよい。

映画の他になにかやりたいことはありますか。

■天野:漫画を描きたい。あとは絵本。それは地道にやっていきます。

既に描いておられるのでしょうか。

■天野:ネタは溜めてます。

子供が読んで大丈夫なのでしょうか。

■天野:それは恐ろしいものを。子供に読ませたらトラウマになるようなものを。そしてものすごく懐かしいものを。

本日は本当にありがとうございました。

■天野:ありがとうございました。