自分の中でなにかが切れた
神谷さんの演劇を始めたきっかけを教えてください。
■神谷尚吾さん(以下神谷):高校の時に三無主義、無気力無関心無感動の典型的な生徒だったんです。そんな時映画で『狼たちの午後』を観ていいなと。それで調べたら舞台出身で、ロバート・デニーロとかダスティン・ホフマンも舞台出身だから、それじゃあ役者は舞台からやるんだろうなと。でもどこかの養成所に入るのも面倒だったので、大学の演研にはいろうかと思ったらそこに佃がいて、そこからズルズルと。
名城大学劇団獅子。
■神谷:大学にはふたつあって、劇団獅子と演劇研究会。演劇研究会は学祭の実行委員とかやっていて、小難しい案内文だった。獅子の文章はくだけていて、気楽なところなのかと。
獅子に入ったのが演劇に関わる一番初め。
■神谷:そうですね。小学校1年で主役やって以来。
凄いですね。
■神谷:そうそう、凄かったんですよ、先生が泣いて感動して。
どんな役だったのでしょうか。
■神谷:博士の役。出たら皆に笑われて。そこで自分の中でなにかが切れたのは覚えてるんですよ。くそっと思って。一所懸命やって。一所懸命やり過ぎて台詞一個飛ばして、太陽役の子が出られなかったのは覚えています。後で謝ったけど。でも先生は泣いて喜んでくれて。ただ大声で喋っただけなんですけどね。
獅子では役者として入ったのでしょうか。
■神谷:そうです。役者をやろうと思って。
初舞台の時のことは覚えていますか。
■神谷:覚えていますよ。刑務所です。それが佃の処女作かな。つかこうへいの影響があるような本だったんだけど。
刑務所で芝居をやった感想はいかがでしたか。
■神谷:なにも分からなかったから。静かでしたね客席が。暗転の度に拍手が来て。女の人が出ると空気が変わった(笑)。今思えば貴重な体験でしたね。
そこからB級遊撃隊立ち上げとなりますが、その経緯を教えてください。
■神谷:3年の時に『B級爆弾』というのを野外でやったんです。そこに佃と、今はいないですけど宮本というのと、わらしべ長者というのがいまして、ぼくは制作で関わってたんですけど。で、B級爆弾をやって、佃も4年生で、佃自体は竹内銃一郎さんの『秘法零番館』に行こうと思っていたらしいけど、その時募集をやってなくって。それでB級爆弾をやった宮本さんとやろうかという話になって、ぼくも就職とか全然考えていなかったので、ズルっと。
頭の中で回路が繋がって来て
現在は演出をメインに活動をされていますが、演出家にシフトしていった経緯を教えてください。
■神谷:ある時、竹内銃一郎さんの演出があったんですよ。芸文のこけら落としかな。『インド人はブロンクスへ行きたがっている』だったと思います。アル・パチーノが昔やってたんですけど。それでね、クソミソに言われてね。それでぼくキャスト降りたんですよ。「出来ない」と言って。で、芝居やめようと思ったんですけど、もの凄く悔しかったもので、仕込みが終わって空き時間があるじゃないですか。出ないから。やることないので上に行って演劇誌を読んでたんですよ、ずっと。そしたら竹内さんの言うことが頭の中で回路が繋がって来て。で、B級もその公演の後、人がどんどん辞めちゃって。1年くらい公演を打たなかったのかな。その間、劇団内で色々やってみようと。その時ぼくは竹内さんに言われたことを演出とまで言わないけど、指示を出してたんですよ。役者、当時3人くらいしかいなかったけど。その時、別役実さんの『堕天使』をテキストに使って、やってみてこういうことなのかなと思い始めてきて。それから一本挟んで、『コックと窓ふきとねこのいない時間』の演出をとって、竹内さんに言われたことを演出という立場で実感してみようと。で、演出をやってみたんですけど、結構きつくてね。こう座っているだけで体重がどんどん減っていくんですよ(笑)。これはやるもんじゃないなと思って役者に戻ったんだけど、一旦そういうのを覚えて佃の横でちょこちょこやっていると、途中から「お前演出やれよ」と。でも作品の責任を取るのが嫌で逃げてました。でもある時何故か「やる」と言い出して。それから演出をやるようになりました。
具体的に、竹内銃一郎さんのどのようなところに影響を受けましたか。
■神谷:役者さんていうのは、台本貰ったら家で感情考えてきちゃうんですよ。それで、現場に立つと合わないんです。それを修正できなかったんですよ。相手がいるから感情が生まれてくるんだろということを、当り前のことなんですけど、出来なかった。「声が変わるだろ」とも言われた。台詞によって。電話でも「もしもし」とか、相手によって声が変わったりする。「変わる時に心だけじゃなくて身体も変わるだろ」と。「リラックスした声を出す時は身体もリラックスしてるはずだ」と。舞踊とかダンスとかの身体じゃないんだけど、身体を使って台詞を言う。だからその後、ぼくの職場は色々な地域の人が来るから、目をつぶってずっと人の声を聞いていた。で、音を変わる瞬間を聞いていた。街に行って、歩いている人の職業を当てるとか。合ってるか分からないけど。この人は事務系だなとか、この人は肉体労働系だなとか。やったりしてた。色々影響を受けた。ただ、この方法論でいくと芝居が息苦しくなってしまう。だからコックも息苦しかったんです。その後演出を降りたんだけど。でもその息苦しさをどうやったら打破できるかなと思った時に『てんぷくプロ』があったんです。今はそうでもないけど、昔はアドリブばっかりで、滅茶苦茶だった。ああいう良い意味でのいい加減さを取り入れればいいやと。でもやり過ぎちゃうといけないので、崩しながら、関係を保てる方法を模索した。アドリブってウケればいいんだけど、そうじゃなくって、きっちりとした台詞の中でそういうニュアンスを残したほうがいいだろうという風に変わってきた。
予め決められた台詞でアドリブっぽくするということですか。
■神谷:見えたらいいなと。なんだかんだやりながらね。色々な人の影響を受けながら。太田省吾さんは無言劇じゃないですか。人との間にある空気感というか。どうやったら出せるんだろうとか。物を使ったりとか、劇場をどうやったら見せられるんだろうとか。歌で言うと忌野清志郎とか、泉谷しげるの世界観だとか。自分なりに解釈して。何はともあれ考えながらやっています。
ぐわーっといって
これまでに影響を受けた人物とか作品があれば教えてください。
■神谷:アル・パチーノの『狼たちの午後』もそうだし、『ゴッドファーザー』もそうだし、デニーロも好きだし、竹内銃一郎とか太田省吾とか。影響は受けています。
映画が多いですね。
■神谷:最初はそうですね。最初は映画から。今はどうなんだろう。映画も昔の成瀬巳喜男とか、小津とか、溝口健二とかを集中的に。そういう作品のほうが日本人って感じがしていて。最近のものを観ていると日本人じゃないみたいな気がして。道端でそんなでかい声で喋るかよこいつらとか思ったり。感情表現をしなくちゃいけない感じで芝居をしていて。本当かよって思って。
そういう体験が芝居に反映されているのでしょうか。
■神谷:そうですね。そのままはやっていないと思うけど、自分の身体の中に入って、形を変えて。
演出をされるうえで普段から気を付けていることがあれば教えてください。
■神谷:あまり理屈っぽくならないように気を付けていますね。言葉で片付けられることはやらないほうがいいなと。訳分からないことをやってるほうが多いかな。後で理由付けはできるんですけども、言葉に出来ないことを大切にしたほうがいいと思いますね。ここはなんだとか、出て来ちゃうと、面白くないような気もするんですけど。こういうインタビューだとちゃんと答えたほうがいいですよね(笑)。大体ぼくの場合擬音が多いもん。ここは「ぐわーっといって」とか。
役者から「ここはどういうことですか」と聞かれたりしませんか。
■神谷:ありますよ。一応理屈っぽく言うんですけど、ちょっとは考えれば。役者も馬鹿じゃないですから。言葉で全て解決できちゃったら面白くない。勝手なこっちの言い分ですけど。
腹を括らないと駄目だね
神谷さんが一緒に活動するうえで相手に持っていて欲しい能力等はありますか。
■神谷:自分じゃないもう一人がいるってことを分かっていてくれないと困るかな。どうしても役者さんってエゴが強い方が多くて、大人しい感じでもエゴが強い人もいて、周りが見えない人が多いので。自分は一人ではないということを、舞台に立っている時に。それは分かっていて欲しいなあと思います。
客観性を持っていて欲しいということでしょうか。
■神谷:ちょっと違いますね。台詞というものに守られてしまっていて、台詞を言うことがメインになってしまっていて、その台詞を出させる、外部からの力があると思うんですよ。これを忘れてしまって、自分の感情をぶちまけるだけで満足してしまう方が。ここに人がいるんだけど、もう一人相手役の人。ここら辺はどうなのって思ったりしますね。野球で言うと、皆ホームランを打ちたがる。一発長打のホームランを。気持ちいいんですけども、作るうえではホームランよりはコツコツ繋いでいってもらったほうがいい時が多いので。
神谷さんが思う、演出家にとって一番大切な能力はなんだと思いますか。
■神谷:外部でやるときは、作品のイメージを伝える能力を持っていないと大変ですね。劇団でやるのとは違うので。劇団で使う言語が通じなくなってくるので。こういう風にやりたいというのは繰り返して言わないといけないというのはありますね。劇団ではそこまで言わなくてもいいのかなって思います。そんなこともないの、か?
■向原パールさん(以下向原):表現できてるか分かりませんけど、目指すところは一緒というのは感じていますね。
■神谷:色々ありますね。小さいことを言うと、実験はしていかないといけないだろうし、劇団でやろうがプロデュースでやろうが、チャレンジしないと駄目だろうなと思います。
演出の際に自分のイメージと役者のイメージが違う場合、どのように摺り合わせていきますか。
■神谷:何度も同じこと話すしかないよね。でも話すというのは根気がいりますね。ややもするとどこかで妥協点を生み出そうとするじゃないですか。自分のやりたいことと役者さんのやりたいことが違っていて、それを摺り合わせることもあるし、こっちに来てくれという時もあるし。労力もいるし、腹の探り方というのが大切なのかと思います。みんなどこかで妥協してしまうと、現場は丸く収まるかもしれないけど、作品としてはどうだろうと思う時もあります。腹を括らないと駄目だね。仲良くだとうまくいかないことは多いね。でもそれが難しいです。現場では嫌な雰囲気でやりたくないじゃないですか。
これが言えないもんでやってるんじゃないのかな
演劇の面白さ、魅力をどのようなところに感じていますか。
■神谷:辛いことのほうが多いんじゃないかな。人生だって辛いことのほうが多いでしょ。ほんの僅かだけですよ。楽しいのは。ほんの一瞬だけです。全然駄目な役者がいるじゃないですか。それが成長した時は嬉しいですよね。お父さんみたいですけど(笑)。人ですよね、やっぱり。でも演劇って人しかないような気もするので。空気が立ち上がった瞬間とか、頭で考えてきて現場で試行錯誤して、自分のやりたいことが間違いじゃなかったとか。それを舞台にあげてみたら客が全然分からなかったとか、色々ですけどね。誰も満足なんかしないんじゃないですか。毎回満足してるなんて嘘でしょ。楽しいと思ってやってることなんてありませんよ。面白いとは思ってやっていますけど。楽しいとはなかなか思えないですね。楽しいと思えるようになりたいです。
演劇で神谷さんが表現したいことがあれば。
■神谷:難しい質問ですね(笑)。これが答えられたらもう言葉で言ってますよ。これが言えないもんでやってるんじゃないのかな。言葉で言えたら言葉で出しちゃってますよ、というのが本心ですね。
お疲れ様でした。ありがとうございました。
■神谷・向原:ありがとうございました。