今日は車窓からどんな風景が見えるだろう
演劇を始めたきっかけを教えてください。
■田辺剛さん(以下田辺):大学に入ってからです。進学で福岡から京都に出てきまして、それまで演劇に触れたことはほとんどなかったのですがどういう世界なのか覗いてみたくて。同じクラスの女の子に「今度新しくできる劇団があるの」と誘われてホイホイついていったのが運命の分かれ道でした。
劇団名の由来を教えてください。
■田辺:わたしがディレクターを務める劇場「アトリエ劇研」の企画で、かつて「下鴨氣象」というものがありました。コンテンポラリーダンスの作品をオムニバスで紹介する企画です。「下鴨」というのはアトリエ劇研がある地域の名前で、どんなダンスが見られるのか、明日の天気を期待するようなニュアンスで「氣象」と付けられたのだろうと思います。おそらく。それで、それがなかなかよい企画だということでその演劇版をつくろうということになりました。その企画の名前をわたしが考えることになり、うまく「下鴨氣象」と対になる名前をということで「下鴨車窓」にたどり着いたんです。今日は車窓からどんな風景が見えるだろうという期待を込めて。ところが演劇版の企画は立ち消えになり、必死で考えた名前なので自分の新しいユニットの名前として使わせてくださいと了解を得て使うことになりました。
倍返し
演出をする上で気を付けていることはありますか。また、演出家にとって最も必要な要素は何と考えていますか。
■田辺:たくさんあります(笑)。どの俳優さんとごいっしょするかを考えること、いわゆるキャスティングはここで間違えるとだいたいうまくいかない。だったり、例えば劇空間の構成。俳優を舞台にどのように配置するのか、見た目の美しさはもちろんのこと、その配置によって人間関係だとか、物語のどの部分に重きを置いているのかも表現することになるので、俳優や小道具、舞台装置の配置はかなり意識してああだこうだとやっています。観客を驚かせるような仕掛けよりも、そういうことができる予算がない現場ばかりだというのもありますが(笑)、地味なところでコツコツやっている感じです。演出家一般に同じことが言えるかどうかは分かりませんが、わたし自身にとっては戯曲の本質部分を把握する洞察力と、それを舞台で具体的に表現する力が不可欠な要素で、なんとかこれを鍛えたいと思っています。
下鴨車窓#4『農夫』
2008.6@アトリエ劇研(京都)
戯曲を役者を介して表現する際、自らのイメージと役者のイメージをどのように摺り合わせていきますか。
■田辺:戯曲を書いている時に思い描いているわたしのイメージは、できるだけ俳優に押し付けたくないと考えています。戯曲に対するわたしのイメージと俳優一人一人の持っているイメージ、解釈は違っていて当然。むしろわたしが思ってもいなかったような解釈やイメージで、かつ説得力があるものを俳優から見せられることをいつも期待しています。演出家としてのわたしにとってそれが面白ければ、説得力があれば、劇作家の時のわたしのイメージと違っていてまったく構わないし採用します。俳優からの表現が乏しくて、わたしのイメージで擦り合わせをするような時というのは、わたしにとっては残念な状況なんです。
田辺さんが作品を作るうえで、役者に求める要素が教えてください。
■田辺:先に、戯曲を書いている時のイメージを俳優に押し付けたくないと言いましたが、演出家としてはもちろん、こういう世界を描きたいとかもっと具体的にこうして欲しいというリクエストはあります。俳優にきちんとそれを説明して理解してもらえたならば、俳優の側には、そのリクエストに応えたうえで倍返しというか、要求を満たしつつ自分自身の表現も実現して欲しいと思います。奇抜でなくてもいいのですが自分自身がどう表現しようかということを思い描く想像力、それを説得力をもって表現できる力があって欲しいと思います。演出家のリクエストもふまえられる柔軟性もですね。
アイデアのあぶくは現れたり消えたり
戯曲のアイデアはどのようにして生み出していますか。
■田辺:四六時中考えていて。頭の中でいろんなアイデアが現れては消え、残ったもののいくつかがくっついたり離れたりして、そうこうしているうちに、結果としてひとつの戯曲のアイデアが成っているというカンジです。それは卵からひな鳥が生まれるようなイメージとはずいぶんと違うものですね。本を読んだりテレビや映画を見たり、舞台をみたり。街をただ歩いているだけでも、アイデアのあぶくは現れたり消えたりしています。抽象的な言い方ですみません。
セットや衣装でこだわる部分はありますか。
■田辺:俳優の演技についてもそうですが「最小限の振る舞い(演技や装置)で最大の効果を」がいつもポイントです。舞台美術もできるだけ簡素にして、それでもってどこまで表現できるかを考えています。衣装については、装置などが簡素なだけに、かなりこだわりたいとは思っているんです。予算のこともあったりしてなかなか手が回らないのですが、俳優が何を身につけるのか纏うのかはとても大切なはずで…。これからの課題です。
この時間はほとんど至福
不登校やひきこもりの経験を持つ方と作品作りをしているそうですが、取り組み始めたきっかけと、ここでしかない経験があれば教えてください。
■田辺:「フリースクール」というのですが、不登校やひきこもりの若者が通う学校というか居場所というか、学生の頃にそこで勉強を教えるアルバイトをしていました。そこの代表の方から依頼を受けたのがきっかけです。そもそも他人と向き合うのが苦手な若者たちなので演劇なんて論外という雰囲気がとても強かったのですが、くり返しくり返し練習をしてだんだん声が出るようになり、共演者と向き合って演技をして、舞台の上とはいえコミュニケーションを取れるようになっていく様は感動でした。人間の変容というと大げさな言い方ですが、その短い期間での変容ぶりは、実際の本番の舞台よりも格段に「劇的」でした。そういう体験は普段の、演劇をやりたくてやっている人とのあいだではなかなかないのだろうと思います。
劇作家として1年間ソウルへ研修に行かれたそうですが、一番大きな成果はなんでしたか。
■田辺:「劇作家として」の研修なので、その成果は作品に現れるべきだと思いますし、そう願ってますしで、今はどうでしょう。自分ではなんとも判断がつきません。目に見えて、点数のようなカタチで示すこともできないですし。劇作の技術を学びに行ったというよりも、劇作をするときのアイデアの源泉を豊かにしたいと思って行きました。ご存知のように日本と韓国のあいだには長い歴史のなかであれこれと因縁があるわけですが、特に日本の統治時代の跡を見てみたいと思いました。日本に住んでいる時には見ることのできない「日本」が韓国にあるのではと思ったのです。例えば韓国各地にある日本式の建築。当時つくられた一般の家屋が韓国式に改造されて今でも使われていたりします。また日本が作った刑務所だとか。韓国社会に沈殿し、堆積している過去の時間を見ることができたのはとても有意義でした。あとはそうしたことをふまえた作品づくりですね。
演劇をしていて楽しいことはなんでしょうか。また逆に辛いことはありますか。
■田辺:最近は演劇のお仕事でいろんな地域に行ったり、人との出会いに恵まれたりでそうしたことに喜びを感じています。演劇は「出会いの芸術」だと言った人がいて、それを強く感じるようになりました。これで儲けもたくさんあれば文句無しですが(笑)。あまりお金にはならないけれど、この時間はほとんど至福と言っていいんじゃないかと思っています。苦労も含めて。これからもいいご縁が続けばと思います。
戯曲、演出等全てを含め、自分にしかない特徴はありますか。
■田辺:いろんな人の影響を受けて、時には真似たり、逆に反発したりしながら自分なりのカタチを模索してきました。今ももちろん模索する日々です。他の人と比べて「自分にしかない」特徴というのは、わたし自身ではなかなか言い当てることができないですね。自分自身のことを客観的に見ることはできませんしね。どうでしょう。どなたかに教えていただきたいと思っているくらいです。
現代の日本からは時代も場所も遠く離れた世界
演劇を通して最も表現したいものはなんでしょうか。
■田辺:なにか一つの主張やメッセージを伝えるということではなくやっています。最近は、わたしたちが生活する日常とはまったく違う世界を構築することを考えています。戯曲のはじまりも「現代の日本からは時代も場所も遠く離れた世界」という書き出しです。異世界といいますか。そこはわたしたちの住む世界とは違う常識やルールで動いている。不条理な世界です。「寓話的」と指摘されたこともあります。そうした世界を描いてわたしたちの住む世界を逆照射したい。そうして、わたしたちが住む社会や世界、そしてわたしたち自身を考えるきっかけになればと思っています。
下鴨車窓の見所を教えてください。
■田辺:先に言った「異世界」ですね。そこにはどんな人間が住んでいて、どんな物語が起こるのか。抽象性も強いですが、不思議な世界の感覚を味わっていただければと思います。
【敵】https://t.co/zLaWfOBoUF
— 初瀬川幸次郎 (@hsgwkjr) November 30, 2024
1/17伏見ミリオン座ほか全国公開の本作を鑑賞。
妻に先立たれた晩年の元大学教授が、預貯金を計算し、あと何年生きられるのか計算しながら日々を過ごす中、「敵がやって来る」というメールが届く。
筒井康隆原作の映像作品です。#映画#吉田大八#長塚京三#筒井康隆