選択回路
はせさんが演劇を始めたきっかけはなんでしょうか。
■はせひろいちさん(以下はせ):大学浪人生の時代に、音楽喫茶入りびたりの連中と、大学入ったら「大学の枠を超え、芸術のジャンルを超えたユニット」を作ろうって乗りになって…その中の演劇経験者が「まずは演劇でも…」って提案して、結局劇団を作ったわけね。んで、高校時代から小説やミニコミ誌を趣味でやってた僕に「戯曲書いてみろよ」って事になって…。それまでは芝居なんて、ほんの数本しか観てなかった。ま、でもその中に黒テントと維新派が入ってるんだけど、何にしろ「演劇は押し付けがましくて好きじゃない」程度にしか思ってなかった。んで、半ばイヤイヤ書いてるうちに、戯曲の不自由さの虜になって…。まさか自分が劇作家とか演出家になろうとは夢にも思ってなかったですね。当時は「役者やらずに何が芝居だ」って心底思っていたし、実際全舞台に立ってたしね。ま、でも、そんなもんだよね、きっかけなんて。実際、大学入ったらマジでパンクバンドやろうと思ってたし。
ジャブジャブサーキットの劇団名の由来を教えてください。
■はせ:ジャブジャブの全身として「NO−SIDE」って集団名があって、それで数本やってたんだけど…ああ、岐阜だけでね。でも「なんかカッコ良過ぎない?」「青春みたいじゃない?」「ユーミンが同名の曲書いたし…」「決してスポーツ系じゃないし…」「て言うか、今までラグビーの用語って知らなかったし…」みたいな感じでとにかく改名しようってことになった。ちょうど初めて名古屋で芝居を打って出るって時期でもあったし。とにかく劇団員全員で行きつけのジャズバーにて会議。いろいろ候補が出て最終的には多数決で決まった。民主的でしょ? 僕は「劇団・四面楚歌」と「芝居屋・呉越同舟」ってのを押してたんだけど、女性陣から総スカン食らって(笑)…元々は「選択回路」って副題(?)が付いていたのね。つまり「人生や物語って所詮は二者択一の集積なんじゃないか?」みたいなイメージがあって、んで、かといって気取らず、無意味な感じを出したいから「選択」を「洗濯」とギャグって「ジャブジャブ」、回路はそのまま「サーキット」ってわけですよ。でも結局、名古屋進出2回目からはただの「ジャブジャブサーキット」になって、やがて皆も由来は忘れていったのね。ま、15年ぐらいは無意味さが「時代を超えて」いたけど、最近はホントに改名したい。芝居の内容から言っても、若干サギだったり、逆に不利益を被ってるかも。でも先日、その道の(笑)ヒトに相談してみたら開口一番「気付くのが遅い。圧倒的に手遅れ。消滅するまでそのままで行きなさい」と言われ、覚悟しました(笑)。
演出が一番ほめられる芝居だけは作りたくない
演出をされるうえで気を付けていることはありますでしょうか。
■はせ:一番は「作家が書いた真意をなるべく大切にしたい」です。これは自作の時も同じですね。2番目が「演出が目立つ…つまり演出が一番ほめられるような芝居だけは作りたくない」かな。3番目が「役者に自分のイメージをどう伝えるか…」。いわゆる手段としての、その人にあった言葉、みたいな事ですね。以下は割愛で。結構面倒くさがりなんで…。
役者に求める要素があれば教えてください。
■はせ:なるべく嘘なく舞台に立ってほしいですね。自己満足と表現、もしくは実感値と客観性の間に流れる「演劇だからこそ実在する、魔可不可思議なエーテルの河」を意識して欲しい。後は……余計な配慮なく、演出や劇作とストレートに勝負して欲しい、ぐらいかな。役者の中に一人ぐらい大金持ちがいて、バンバン経済的な恩恵をくれる人がいてもいいと思うのだけど…。あと弁護士とか医者とか、そうそうトラック運転手とかね(笑)。
ジャブジャブサーキットはチラシに始まり、セット、小道具に至るまで、細やかな気配りがされている印象を受けましたが、はせさんがこれらのもので特にこだわるところはありますでしょうか。
■はせ:ほぼ全部に、平等にこだわってますね。選曲や受付にもこだわってます。性分ですね。一時期は開き直って「細かい演劇」を名乗ってました。ま、これは「静かな…」とか「関係性の…」に対抗して、自称したまでなんですけど…。まあ、スタッフはやりづらいでしょうね。いちいち口だすなって感じでしょうね。最近は少し自重してるんですが、そうすると結局劇場入ってから歪みが出たりするからなぁ…。
「関係性の構築」を大事にされているそうですが、役者間、または舞台と客席の関係性を作る為に意識していることはありますか。
■はせ:双方共に「具体的な想像力」がキーワードです。役者間にはこれのキャッチボールを強要し、お客さんには「誤読」を含んだ柔軟なアンテナを期待しています。
どうも劇画のフキダシのようなイメージがある
脚本を書くうえで、アイデアはどのようにして生み出していきますか。
■はせ:一応、作劇のアイデアとしては備忘録の中に、僕が死んだ後も20年ぐらい書けそうなストックがあります。ただ、既に化石化してるのもあったりして…そういうのも、もしかして「化石のような芝居」が書きたくなったときのためにキープしています。後は…無謀な言い方は承知ですが、映画でも小説でも絵画でも音楽でも、つまり外部からの(別ジャンルからの)アート的な刺激は全て劇作に生かせると思っています。もちろん日常や昨今の事件からも…つまり、アイデアはさして問題ではないのです。それをいかに会話や物語や「ホントに自分が書きたいもの」に昇華させられるかが問題なのです。
作中には時折アニメ(ゲームも?)等の話題が出てきますが、はせさんはこれらのものに関心が強いのでしょうか。
■はせ:や、どうでしょう? 半々かな? ホントに必然として出てきた時と、ある種のサービスや現代性を出すための小道具的な出方の割合としては。子育ての中で、自然と「ゲーム文化に近い」のも事実です。そして何より、僕の文学ルーツを探ると、一時期、結構くっきりと「少女マンガ」の時代があるのも事実です。特に「別マ」と「はなとゆめ」に特化されて…。そういえば、かの北村想さんに「君のセリフは、どうも劇画のフキダシのようなイメージがある」と言われたことがあります。自分でも想さんの真意を正確に解釈してはいないのですが…。
作品で表現したいもの、特に全作品に共通するものがあれば教えてください。
■はせ:お客さんに対しては、せっかく金出して来てくれるのだから、せいぜい最後までドキドキさせたい…ぐらいかな? テーマ的に括るほどのモノはありません。ただ、上限2時間の芝居の時間軸のなかで、本当にヒト(=登場人物)が、少しだけでも変われたら…その様を無理なく見せれたら、それで良いのではないか…そんな感覚を最近は持っています。
一生一度の集団
ジャブジャブサーキットには長い歴史がありますが、ここまで続けられた原動力があれば教えてください。
■はせ:継続に関しては…これはもう、偶然の産物、運命の恩恵に支えられてのコトです。「集団には寿命がある」。この命題に対して、否定もしなければ抗う気持ちもありません。むしろ「集団に寿命がなくてどうする? 寿命があるからこそ愛おしいんだ」と思っています。うちの場合、関係性が危機的になるホンの少し前に、何かしら事件が起こってくれるのです。例えば何かの受賞、例えば新しい旅公演、例えば自然災害、例えば稽古場の危機……それらがたまたま刺激となって、少しだけ集団が強くなる…そんな事の繰り返しだったように思います。ま、その大前提として「トラブルを楽しく思う」とか「逆境でやっと燃える」みたいなカラーがあったのかも知れません。後、最近では皆が「無理をしない」ことかな。誰かが「出来ちゃった婚」となり、意を決して退団届けを持ってきても、「いやいや、まあまあ」とか言いながら「いかにして親類に子供を預けて芝居を続けるか」を説得し、退団届けがいつしか休団届けに摩り替わってたりして(笑)。実際、稽古場には子供がよく顔を出し「お母さんの出番の時」は、独身の誰かが面倒見てるし……。ま、平たく言えば、劇団メンバーの多くが「一生一度の集団だろうなぁ」となんとなくぼんやり思っていて、「マスコミ的な成功とは無縁のこの空間、時間を共有していたい」と、どこかで納得しているからでしょうね。
ハリウッドよりは古き良きフランス映画
はせさんにとって、演劇の魅力とはなんでしょうか。
■はせ:マイノリティーが(多くを望まなければ)かろうじて、堂々とそこに居られる芸術的柔軟性。もしくはその(他のジャンルではなかなか見られない)「懐の深さ」。関係性や立場、恋愛感や世界観、他者の認識と他者への尊厳…そういうったものをちゃんと考えていれば、数値的な優劣を超えて、ヒトがちゃんとそこに居られる空間性。とはいえ役者が生身だったり、客と同じ時間軸を共有することにより、いろんな事に「嘘」がばれやすく、極めて「不自由」なこと。そのくせ「作法」さえ怠らなければ、結構「自由」に振舞えること。映像のように勝手に「ズーム」が使えない事。望まなければマスコミや消費社会の歯車から、結構意識的に距離を置いていられる事、などなど。
ジャブジャブサーキットの見所を教えてください。
■はせ:見所ですかぁ……うーん、それを探して25年も経ってる気が……一応キャッチフレーズは「演劇に残されたリアリティーと知的エンターテイメントを追求する」となってますが、これも少し怪しいし……ハリウッドよりは古き良きフランス映画のような芝居を目指してはいるのですが……まあ、総じて「見所」は演目によってコロコロ変わります。変わってなお、ウチらしさが残ればいいな、って思います。