ごまのはえさん
京都のニットキャップシアターの主宰をされているごまのはえさん。その独特の言動には何故か人を惹き付けるものがあります。とても礼儀正しく、面白い方です。
しょーもない

まずはごまさんが演劇を初めてきっかけを教えてください。

■ごまのはえさん(以下ごまのはえ):中高とバドミントンをやっていたんです。結構うまかったんですよ。身体動かすのが好きで。でも高校の時に膝を痛めてしまいまして。もうバドミントンはできない。それでも大学では運動系をしようかなと思ってたんだけど、体育会系がちょっと怖かったんです。先輩後輩とかがきっちりしていて。スーツとか着て、先輩が来たらしっかり挨拶するとか。そんな時大学で演劇部を見つけて、運動もできそうだということで入ったんです。

そこからどのようにニットキャップシアターに繋がっていくんでしょうか。

■ごまのはえ:同期の子らが就職活動をし始めて。当時就職氷河期という感じで教職取っても駄目だし、パチンコ屋か消費者金融か旅行代理店か、そのくらいしかなかったんじゃないかな。みんなフリーターになっていく。で、就職活動がしたくない。そこで大学の演劇部の皆で劇団を作ろうと。

ごまのはえの名前の由来を教えてもらますでしょうか。

■ごまのはえ:由来はふたつありまして。ひとつは泥棒の種類。キセルだとか、美人局だとか。そのひとつにごまのはえというものがあるんです。旅行にいつの間にかついて来て、どんちゃん騒ぎして、翌朝早くいなくなる。他にも色々あるんですけど、まあ、怪しげな奴。旅の途中で会う不思議な奴。それを聞いた時にいいなあと思ったんです。まず怪しい。そして小者というか。小者感。しょーもない。もうひとつは大滝詠一さんのレーベルからデビューしたバンドの名前。

では次に、ニットキャップシアターの名前の由来を。

■ごまのはえ:これはね、ぼくが付けた訳じゃないんだけど。ムーンライダーズというバンドがありまして、ぼくらの世代で聴いてる奴はあんまりいないんだけど、大好きで。よく聴いてました。そこで『ニットキャップマン』という曲があって。浮浪者がテトラポットの上で死んでいるという歌で、これいいなあと思って。自分を浮浪者と言わずに、ニットキャップマンになるぞと。人生諦めていこうと(笑)。

その思いは今もありますか。

■ごまのはえ:なんかニヒリズムじゃないけど、自分を傷つけたい、自分をけなしたいという気持ちは今もありますね。でもそれはそんなに後ろ向きな意味ではなくて。

なにが分かりづらいのかを分かりやすくする

演出上で気をつけていることはありますか。

■ごまのはえ:やっぱり分かりやすくするってことかな。極力なにが分かりづらいのかを分かりやすくするという。分かりづらい部分って人によって絶対あると思うし。分かりづらいのを大切にしたいというか。

分かりやすくするというのは例えば大袈裟に演じるとか、そういうことなのでしょうか。

■ごまのはえ:それでもいいと思います。情報を軽くするという感じ。観劇してくれているお客さんが、「ああ、あれはあれのことか」と。なるべく軽いのが好きですね。はっきりしている、とか、単純であるとか、凄くぼくの書く台本がわかりづらいので、演出では分かりづらい部分をはっきりさせていって、なににこだわっているのかを極力分かりやすく提示すると。何故そんなことにこだわるのかが分からないみたいな。

脚本とのバランスなんでしょうか。

■ごまのはえ:そうですね。

脚本の話が出たので、次はそちらのお話を。脚本を書くうえで、どのような世界観を表現したいと考えていますか。

■ごまのはえ:共通のテーマは、なんだろう…。自分では全く分からないですね。決めてもらいたいくらい(笑)。

本を書く時はアイデアの源はありますか。日常の中から突然ひらめいたりとか。

■ごまのはえ:やはり考えようとしないとなかなか出て来ないですね。『愛のテール』なんかはよくある話で、実体験が元にはなっていますが、じゃあ、実体験なんですね、と言われてしまうとそうでもない、と。

嫌々書いてる訳ではないですよね。

■ごまのはえ:もちろん。でも、必要にならないと書かないですね。必要が欲しいから書きたいんだろ、とはならないと思う。

それを言い表せる日本語がない

役者に求めていることはありますか。こういう役者を使いたいとか。

■ごまのはえ:こだわる人が好きですね。自分の見せ方に対してこだわりがある人。受け身がちな職業となっちゃいますが、自分で決めて自分で発言しなきゃいけない。自分の見せ方をしっかり持って、演出家にどんなに言われても、ぼくはこうありたいと言う人とどのようにやっていくかが演出家の仕事だと思っています。演出家からしたら、どんなに駄目出ししようと思っても、そんなに急に変わる訳ないから。

なかには自分の考えを全部表現させたい、という演出家もいると思いますが。

■ごまのはえ:それをしたいけど、そうはならない、ということ。

できるものならしたい。

■ごまのはえ:でもそれを言い表せる日本語がないと思う。実体があって言葉があるのであって。役者があって、演劇がある。思念としてはあるけど、実体としてなければ。それを表せる俳優がいないと。実体がないといけないから。実体が既にあるという時点で、表すのは難しい。

演出家に反発するような役者と一緒にやることに醍醐味を感じているのでしょうか。

■ごまのはえ:いやあ、やってる最中はうっとおしいなと思います(笑)。でもその人は俳優として一定の力量を持っていると思います。目が届いてないこともあると思うし、ありがたいと思います。

脚本を書く時に、演出を意識しながら書かれたりしますか。

■ごまのはえ:一応します。登場人物の数であるとか、舞台装置であるとか。最初に演出というよりは予算というかな。プロデュース的なものはあると思うし。会場、キャストは考えておかないと。演出ではないですね。やっぱり芝居をやりたがっている人がいて、その人が主催者であって、その人が色々と考えておかないと。

外見と歩き方と喋り方だけで十分

では次に役者についての質問をしたいと思います。ごまさんはどのようにして役作りをされているのでしょうか。

■ごまのはえ:自分の劇団の場合は、自分が出てくることでその場の雰囲気が前とは少し変わるように。そういう風に考えてますね。客演の場合は演出家がすごく気になりますね。どのように使いたがっているかとか、色々。 そんな丁寧に、細かく作っていく方ではないですね。あんまり感情とか考えたことはないですね。

あるがままにやっているのでしょうか。

■ごまのはえ:そうですね。言われたままに。あんまり内面からどうとかとか、経験したことがないです。

先ほどのお話ですと、こだわりのある役者が好きだと言われていましたが、一転してごまさんが役者になるとそれが薄いような気がするのですが。

■ごまのはえ:いや、絶対あるんですよ、こだわりは。外見だけで十分なんです。外見と歩き方と喋り方だけで十分なんです。自分の意見とかなくてもいい、くらいの気持ちで。ぼくが言うこだわりのある俳優さんというのも、ぼくはこの役をこうしたいというのではなくて、意見があるのではなくて、生理的なリズムというのを。議論ではなくて、俺はここから動かない、という立場。

たまにいますね、そういう人。

■ごまのはえ:変えられないのか、変えないのかはわからへんけど。ぼくも変えます変えますとは言ってますけど、変えられないものなんですね。そういうものをうまく見せる技術を持っている人が好きです。自分が俳優の時はなるべく謙虚に。

このテレビ何年後につかなくなります

ごまさんとお話していると、たまに「空気を裏切る」という話が出るのですが、その辺について。

■ごまのはえ:思い切ったことをやりたいけどやれない時のことですね。ぼくもそういう部分はありますけど。管理されてるんだろうなあ。

それは明確なルールではなく、社会にある暗黙のルールのようなものでしょうか。

■ごまのはえ:大人しく、従順でなければいけないとか。このテレビ何年後につかなくなります、と言われてハイハイと買い替えるような。やっぱりあるんだろうな。

ごまさんにもそういう部分ありますか。

■ごまのはえ:ありますよ。従順というか大人しいというか。バランス感覚が素晴らしいと言われることはあります。それは褒めてもらえる部分でもあるし、評価されない部分でもあります。まとめあげる力はあるんだと思う。でもそんなまとめることがうまくできてもしゃーないと思うこともあります。

あえて不安定なものを望む。

■ごまのはえ:そういうときもあります。

でもごまさん自体は凄く意識されてる気がするのですが。

■ごまのはえ:してますね。でもまだまだ。

身体表現へのこだわりはありますでしょうか。

■ごまのはえ:ストレッチなどは毎日やらないと意味がない。それはこだわりですかね。あとは身体の姿勢が悪い人は出さないですね。悪過ぎる人は面白いんだけど。現代っぽくなるでしょ。

ごまさんの作品では、現代が舞台ですけど、現実とは少し離れた世界を表現されてますよね。

■ごまのはえ:そう、創ってますね。姿勢が悪くても全然いいんだけど。無自覚に悪い人には言いますね。

こだわってここに居る

ニットキャップシアターの見所を教えてください。

■ごまのはえ:こだわってるんだろうなと感じさせるところでしょうか。登場人物もこだわってるし、作り手もなにかにこだわってるし。こだわってここに居る。

登場人物には極端な人が多いですよね。

■ごまのはえ:極端に見せようとしているというのはあるけど、社会的にとんでもない立場の人はいないですね。デフォルメはしてますね。

今回のインタビューはかなり言葉を選んで受けていましたね。

■ごまのはえ:使いたくない言葉が多いんだと思いますわ。例えば、愛だとか好きだとか夢だとか可能性とか、大事にしたいから使わない。公表はしない。愛も夢も個性も全て大声で言わないようにしてます。大事だからそういう言葉を軽々しく使わないという選択をこれまでずっとしてきたんだと思います。

作品上でそれを出すのは構わないのでしょうか。

■ごまのはえ:それが反語であれば。愛愛愛…と100回言い続けることで愛が変なものになっていくとか。そういうのは好きです。疑い深いのかな。

じゃあ…出された作品を楽しみます(笑)。

■ごまのはえ:それが一番ありがたいです。もう作品として発表した以上は買ったものとして楽しんでください。

本日は長い時間ありがとうございました。

■ごまのはえ:いえいえ。