渡山博崇さん
星の女子さん代表の渡山博崇さん。独特の世界観と台詞回しで、観る者をくすりと笑わせながら違う世界に連れていってくれます。インタビュー中にも小さい笑いを多く挟んできていました。どうにも放っておけない魅力のある方だと感じました。
スタッフとしての下積みが長かったですね

渡山さんが演劇を始めたきっかけを教えてください。

■渡山博崇さん(以下渡山):元々日本ナレーション演技研究所、日ナレに通っていまして、普通に声優志望だったんですけど、そこではせ(ひろいち)さんの授業を受けていたので、小劇場演劇に関わる機会が多かったんですね。それで現在舞台監督をしている中村公彦というのが同じクラスにいたので、そいつに誘われる形で『月面コレクション』のオーディションを受けて、見事落ちまして。でもそのまま終わらせるのは惜しかったので、「なんでもいいから関わらせてください」と小道具スタッフとして潜り込んでお手伝いを始めまして。そしてその後にもう一度劇団オーディションがあって、それに受かって月面コレクションに入ることになりました。それからは月面コレクションのメンバーとして参加しています。翔航群さんとの合同公演で名古屋東京二都市まわって、がっつりスタッフで関わったり。なのでスタッフとしての下積みが長かったですね。ほとんどそこの演出家である赤井俊哉の演出を受けた記憶がないんです(笑)。ぼくの初舞台は月面コレクションだったのに平塚(直隆)さんの作品だったんですよ。『天国の地獄』という作品で。

劇作を始めたきっかけを教えてください。

■渡山:そこに入団してから1年後に中村公彦と『劇団イリスパンシブルティ』という、無責任なという英語なんですけど、立ち上げました。でもそこでは何も決まっていなくて。中村は演出したい、じゃあ本がいるんじゃないかという話になりまして。ぼくは高校生くらいのときに小説家になりたいという希望だけは持っているようなボンクラだったんで、「じゃあ俺が書くよ」と。で、それが『小人ノ狂詩曲』という、今の星の女子さんの原型かっていうくらいメルヘンだったんですけど。そこからは月面コレクションとイリスパンシブルティの二足の草鞋で。月面コレクションでは役者。イリスパンシブルティでは劇作。

負けたなりの戦い方をしようと思って

そこから『星の女子さん』立ち上げの経緯を教えてください。

■渡山:そこからかなり長くなってしまうのですが(笑)。その頃ぼくはほんのりとした野望を持ってて、東京に行ってみたいという、若者がよく罹るあれですね。小人ノ狂詩曲で共演していた男がお笑いをやりたいと単身東京に上京したんですけど、ぼくはそいつとお笑いをやってみたいと思って、それを追っ掛ける形で東京に出まして、二人で渋谷のライブハウスとかに出演したり、お笑いコンビとして活動していました。でもお金も無いし時間もないし、バイトとお笑いで手一杯で演劇もあまり観なくなって。それで「このまま居たら潰されるな、この町に」と思ったんです。ビルが高いのも嫌になって、1年くらいで逃げ帰ってしまったんです。完全に挫折して。そして逃げ帰ったものの、全て諦めるにも踏ん切りがつかなくて。東京行ったら行ったで地方が小馬鹿にされている気がして、それにムカついたっていうのもあるんですけど、名古屋でもちゃんとやれるよって。名古屋飛ばしってなんだよって。それは名古屋に演劇が根付いていないって思われてるんじゃないかと思い、なら、負けて帰ってきたなら負けたなりの戦い方をしようと思って。少し話は前後しますけど、東京に行く前に劇作家協会に入っていまして、ぼく。その時から『劇王』が始まって、ぼくもやってみたいと思って無理矢理入って。そこで初めて作だけでなく演出をやったんですね。それを踏まえて東京に行ったんですけど、次やるんなら演出もやりたいと。そこからしばらくイリスパンシブルティで活動していたんですけど、なんやかんやでうまくいかなくなってしまいまして、劇団を抜ける形で消滅してしまいました。そしてよく客演でいた空沢しんかと若月智民という子でひとつ新しいことをやろうと。そこで星の女子さんの原型が生まれました。2007年末にその集まりをして、2008年にユースクエアで立ち上げました。でもそこでもうまくいかなくなりまして。次の女子さんの公演としては2010年。その間に北村想さんの『アチャコ』って芝居に参加させてもらったり、劇王に出たり、フリーのような立場で活動していたんですけど、団体としては2010年の『病んでるのグレてるの』。そこでまた一回コケるんですけど(笑)。そしてその後、岡本が入って役者だけでなくスタッフワークもビジュアル面も凄い一所懸命やってくれまして、いまの星の女子さんが形作られていきました。

現在はとても順調に活動されているようですね。

■渡山:劇団員も増えて、調子に乗っていこうかと(笑)。これまでは劇団員という存在はいなくって、親身になってくれる人と客演さんという形だったんですけど、ここでようやく劇団の形を作り出しました。

女子は星のように遠い

劇団名の由来を教えてください。

■渡山:ぼくはこうゆらゆらとしていて、パシっと決められない人間なので、これも50個くらい候補を出して。元々は『星の王子様』と『かもめのジョナサン』をなんとなく足してみたって感じの造語なんですけど、意味は全くないんです。ぼくには個人的に『女子は星のように遠い』という命題がありまして、それも重なって良いんじゃないかと。これまでに色々由来は書いたんですが、今は『女子は星のように遠いという主宰のファンタジーを名前にしました』という言い方でキャプションを付けています。

渡山さんがこれまでに影響を受けた人物や作品を教えてください。

■渡山:一番大きいのは別役実さん。これは劇王で予選落ちしまくっていて、作風を変える必要があると。あまりにも勝てないから。自分の演劇がこれほどまでに人に受け入れられないものかと。そしてアートピアの図書館で一番気になったのが別役実さんで、阿呆のように読み返しました。たくさん数読むよりは、気に入ったものを何度も読むという勉強の仕方でした。それで作風を変えて。これまでは高速で喋るお芝居を書いていたんですが、もの凄いスローモーなお芝居を書いたんです。『ラプンツェルの髪』というタイトルでした。それで変えた途端に予選を勝ちまして、これは調子に乗ったと。ハマっているぞと。一番大きい影響はそれですね。他に映画監督だと3人いまして、アキ・カウリスマキ、ラッセ・ハルストレム、ウェス・アンダーソン。映画監督として大好きです。ビジュアル面から、役者への芝居の付け方にしても。カラーは全然違うんですけど、間違いなく人間を描いています。ぼくは人間の内面とか、人が出ちゃっているところというのが凄い好きなので。違う見せ方で、可能性をいっぱい提示してくれて、いっぱい豊かなものを与えてくれたのはその3人です。

童話を作りたいんですね

戯曲のアイデアはどのように生まれますか。

■渡山:基本的には自分のことしか書けないので、自分が体験したこと、自分が関心を持っていることをベースにして、そこに関わってくる情報を取り入れて書いたりするんですけど、実家の母ちゃんがアルツハイマーで、すぐものを忘れる訳です。記憶が壊れていくというか。色々なことが出来なくなって、最近はお茶も入れられないし、料理も出来ない。少しづつ色々なことが出来なくなっていく。だからいま『出来ない』ということに関心があって。なので身近なもの。本当に切実に自分の中のものからアンテナを張って引っ掛かったものを核にして書いていく。でも、アイデアって完全に油断している時に出てきます。考えてはいるんですけど、考えている時にそれが出てくるっていうのはまずなくて、考えることが当たり前になってきて生活をしている中で、ふっと迷い込んでくる。なにかが面白いって。

ご自身の戯曲の特徴や癖があれば教えてください。

■渡山:敢えてしようとしているのは、童話を作りたいんですね。おとぎ話。おとぎ話って本当に豊かな意味でなんでもありなんです。ソーセージと豆が会話したりとか(笑)。グリム童話なんですけど、むちゃくちゃだなあと。それでソーセージが川に落ちて死んじゃったとか。なんの意味もない、教訓のないおとぎ話を書きたいと思っています。ぼくは自分のことを不条理作家だとは思っていなくて。色々な人に言われるんです。「これ不条理でしょ」って。だから敢えて、不条理と言っておけばなんでもありなんだと便利に使っているところもあります。でもぼくが最近自覚的に言っているのが、「うちはメルヘンです」。なんでもないお話を書きたいんです。ただのお話を書ければいいなと。

戯曲内でなにか癖みたいなものはありますか。

■渡山:「えっ」っていうのが多いですね(笑)。そんなね、言葉がね、普段の会話でそんなにうまく噛み合ってポンポンいかねえだろうって時に「えっ」を多用します。

ポジティブじゃないものに癒される

演出をする上で重視していることを教えてください。

■渡山:人間を剥き出しにすることですね。これをあまり言うと客演さんが出てくれなくなるんですけど、人がその時にありのままの姿で立っているとか、心の防御が全くなく驚いたり悲しんだりする姿、感情の揺れとか。別に吐露したい訳じゃないですけど、見えちゃう時。見せるじゃなくて見えちゃった、そういう時にぼくは凄くぞくぞくします。舞台を観ていて。で、それを上げたくて。人間ってきれいなだけじゃないから、醜いところもやっぱり出ちゃう訳ですよ。変な話、ポジティブじゃないものに癒されることが凄いあって。その瞬間瞬間の為に役者に要求しているところはありますね。お前の剥き出しを見せろと遠回しに遠回しに(笑)。だからうまい役者とかって逆にフィルターが強いので、感情をこういう風に表現しているというやり方が強いので、隙がなく見えてしまう。そうすると途端につまらなく見えてしまう。

演出上でうまくそういうのを引き出せる技みたいなものはありますか。

■渡山:役の自意識と役者の自意識を出来るだけ重ね合わせるようにしています。あまり無理のある台詞とかはいっそのこと変えてしまいます。演出で。

台本は当て書きなんでしょうか。

■渡山:こっそり。あとは当て書きをしない場合でも稽古場で合わせていく。演出としても、ぼくは作家寄りだからかもしれないけど、作品の9割くらいは戯曲にあると思ってるんですね。だから演出でいじるより、台本をならしていった方がいいかなというのはあります。あとはなるべく怒らないこと。のらりくらりとやって、役者を油断させてます(笑)。ギスギスすると心も萎縮するじゃないですか。萎縮すると心を曝け出せないから、代わりに技術でやろうとする。ぼくはそれは見たくないので。

一緒に活動するうえで相手に持っていて欲しい能力や要素があれば教えてください。

■渡山:難しいですけど、作品で繋がりたいなと思っているので、一緒にやるってだけなら、その作品が好きな人。ぼくの作品が好きでやってくれるのであればそれがなによりです。向き合い方として、一番ありがたいというか。

生活に寄り添ってやっていきたい

演劇の面白さ、魅力をどういうところに感じていますか。

■渡山:普段の活動は100人規模の劇場ですけど、客席が近かろうが遠かろうがあまり変わらないのが、人を観たいというところ。お客さんてなんだかんだで役者を観にくるじゃないですか。作品の責任は9割戯曲にあると思うんですけど、その戯曲を体現している、体を通してやっているのが役者なので、その人の心が動く瞬間が見たい。それが良い感情でもいいし、悪い感情でもいい。ぞっとすることを言うと、人って凄く好奇心があるので、だから、人の死ぬところでさえも見たいんですよ。そういう欲望すら持っている。だったら、人が死ぬ芝居だったら、その人が死ぬところを見たいという欲望を隠さずにやっていく。見たいものを演出したい。ぼくがずっと興味があるのが自意識ってことなんですね。自意識との格闘がない人間は全く面白くなくて。人に見られるのって怖いじゃないですか。それって自意識が働いているからなんですよね。良く見られたいとか。石投げられたくねえとか。その自意識と格闘していない人間には魅力を感じないので。武器を持とうが、持たなかろうが、格闘の仕方は人それぞれなので文句は言いません。ただ格闘してくださいということ。うちの作品には自意識を拗らせた登場人物がたくさん出てくるので。何気ないやり取りの中でも凄く心をフリーにしないといけないから、稽古は凄く疲れるんですね。疲れなかったら嘘だから。

他に言い足りないことがあれば。

■渡山:ぼくは全然先が見えないんですよ。演出家としても劇作家としても。自意識と格闘まっ際中なので(笑)。戦略的な視点が一切持てない。客観的にこうしたらこうするという理屈を持てない人間なので、演出も現場で一回一回勝負で。そうすると理論がないんです。広い観客に向けたり広い役者に向けて戦っていく時に、ちと弱いなと思っていまして。この前初めてワークショップをやったんですけど、人に何かを教えたり、伝えないといけない時に言葉のチョイスの元が感覚だけだとこの先ないなと。厳しくなってきている。これは方法論の力も借りつつやらないといけないなと思い、一回酷く落ち込んで(北村)想さんに「演出が何も分かりません」とメールしたんです。そしたら「演出は理論を勉強しないとどうしようもない」と。「次のSLOFT/Nとの合同公演で俺の理論は全て教えてやるからくよくよするのは10年早い」と(笑)。だから心強く、今はくよくよしてる場合じゃないなと。あと、生活に寄り添ってやっていきたいということですね。ジャブジャブサーキットさんが志しているやり方にすごく共感と感動を覚えているので、生活と共に寄り添ってやっていきたいんですけど。ガツガツやっていこうぜというのではなく、寄り添いつつ、興味あるところにすっと行けたらなと。京都公演や三重公演は凄く興味ありますし。ぼくたちが住めそうなところに行けたらいいなと思っています。

ありがとうございました。

■渡山:ありがとうございました。