鹿目由紀さん
劇団あおきりみかんの主宰で、劇作家で、演出家で、役者で、また最近ではテレビドラマの脚本家として、多方面で活躍されている鹿目由紀さん。とても懐の大きい方という印象を強く受けました。
そのバラが自分の手にスポッと

はじめに演劇を始めたきっかけを教えてください。

■鹿目由紀さん(以下鹿目):幼小中高と同じカトリック系の学校だったので、中学の時に高校の演劇部の舞台を、学校の体育館で観たんです。で、途中でマッドサイエンティストの役の人が登場とともにバラを投げて、そのバラが自分の手にスポッと入りまして(笑)。それで高校の演劇部に入っちゃいました。で、南山大学進学のために会津若松から名古屋に来て、中学はバスケ部だったので大学もバスケ部にしようと思ったら、入学式に演劇部の『ハイセコ(「HI-SECO」企画)』に勧誘されて。「今日、有志がうりんこ劇場で公演してるから良かったら観に行く?」って言われて、勧誘された数名と観に行きました。お芝居ははっきり言ってよく分からなかったんで(笑)。入部するか10日くらい悩みました。そしたらある日学食で、出演してた人たちを偶然目撃して、またもやこれも運命だと思って(笑)。声を掛けたんです、「演劇部の方ですよね」って。で、バスケ部には入らずに「HI-SECO」企画に入りました。

そこから『あおきりみかん』立ち上げの経緯を教えてもらえますでしょうか。

■鹿目:最初は一回限りのつもりでした。大学4年間は、ずっと役者しかやってなかったんです。友人のために短編戯曲を一本だけ書いたことがあったり、後、小説も好きで小学校の時からずっと書いてたりしたんですが、戯曲として初めて長編を書いたのは大学4年の冬でした。『今宵あなたに』というベッタベタのコメディーでした。実はその頃『コメディー』とチラシに堂々と銘打っている若い劇団が、あまりなかったんです。演劇部の会議でコメディーと記すかどうか凄く話し合って、結局止めました。

反対されたとか。

■鹿目:勇気がなかったんですね。『コメディー』と銘打って笑えなかったらどうするんだという不安がありました。チラシ入稿ギリギリまで迷いましたが止めました。だけど蓋を開けてみたらウケまして。お客さんが凄く笑ってくださいました。ああコメディーって面白いなと思いました。笑って、楽しい気分になって帰ってもらうのっていいなと。で、卒業してからもう一度やってみようかという話になりました。それが劇団あおきりみかんの始まりです。1999年3月に名演小劇場で『誰が為にベルは鳴る』という作品を1度限りのつもりで上演したら、悔いが残りまして。あそこが良くなかったここが良くなかったと、自分の中で色々と。当時、卒業したら演劇部の先輩に東京で一緒に芝居とかコントやろうと誘われてたんですけどね。

それは役者として。

■鹿目:役者として。ですけど、まあ留年もしまして。1999年9月に2度目の公演やっちゃったんですよ。スタジオ・座・ウィークエンドで。それもまた悔いが残って(笑)。あ、もう一回やっとこうと。ほぼ同じメンバーでまた名演小劇場でやって。またまた悔いが残って。3回やっちゃってこれからどうするんだ、という話になりました。メンバーと話し合い、やっていこうということになり、4度目からは劇団として活動するようになりました。

原液で飲むのが好き

初めて戯曲を書かれた時の経緯を教えてください。

■鹿目:大学1年の時に、一緒の大学で一緒のお弁当屋さんでバイトしてた親友がいて、その子も大阪出身で高校で演劇部だったんです。彼女に東京で友達とお芝居をやるから30分の台本を書いて欲しいと頼まれたのがきっかけです。戯曲は書いたことなかったんですけど、なんとなく書いてみたいものが頭に浮かんでいて。『三人のユーレイ』という作品を書いたんです。シンプルな話でした。駅のベンチに女が座っていて、そこに男が現れる。実は2人とも幽霊なんです。2人が話していくうちにだんだん絆が深まって、お互い死んじゃったけどこれからも頑張っていこうねという話だったんです。

それはコメディー?

■鹿目:コメディーのつもりではなかったですね。昔は幽霊ものを書くのが好きで、一時期、幽霊ばっかり書いてました。

幽霊という存在が好きなのでしょうか。

■鹿目:そうですね。なんか地獄に行く訳でもなく成仏する訳でもなく彷徨ってますよね。それは今を生きている人間の状態に近いなと思って。迷いながらも生きてるじゃないですか。そのシンプルな彷徨いを体現できる幽霊って魅力的な存在だなと思って。

一回目の公演から『あおきりみかん』という名前だったのでしょうか。

■鹿目:はい。

どういう経緯であおきりみかんという名前になったのでしょうか。

■鹿目:すっぱいものが好きだから。まだ青いうちに切ったみかんを『青切りみかん』と言うんです。グリーンみかん、早生みかんとも言いますよね。すっぱいもの繋がりで『食卓レモン』も候補に挙がったんですけど。食卓レモンを原液で飲むのが好きでして。『箱入りみかん』とか色々な名前が出ましたが、まあ、あおきりみかんがいいんじゃないかということになりました。ですが『主宰がすっぱいものが好きだから』という理由ではあまりにあまりなのでは、ということで、後付けで『まだまだこれからも熟していく、成長していく』青いみかんという理由がくっつきました。

公にはそういうことになっているのですね。

■鹿目:そうなんですけど、結局、すっぱいものが好きだからです、と正直に言ってます。後で気づいたんですが、『あ』で始まって『ん』で終わるんですよ。雑誌の情報ページに『あお』だから始めに載ることが多かったり、『ん』で終わる劇団は長続きすると聞いたり。少年王者舘とか。この名前で良かったのかもしれない、と後から思いました。最初はなんでこんな名前にしちゃったんだろうと後悔してたんですけどね。

まあこれはこれだよね

本を書くに辺り、鹿目さんが思う特徴や癖があれば教えてください。

■鹿目:例えば、街を歩いていて面白いと思う出来事が見つかって、それが違う出来事に出会った時に結びついて、3個くらい結びつくと話を書き出したくなる感じですかね。事象が連なっていって、それが大きな核になって書いていくというパターンが多いです。

いくつか作品を観させていただいて思ったのは、象徴的ななにか、例えば布団だったり箱だったり、そういうモチーフがあって、イメージを膨らませているのかなと思っていたのですが。

■鹿目:初めにあるのは、象徴的なモチーフではないです。『劇王㈸』の『不惑と窓枠の行方』なんかは、『ジョハリの窓』という心理用語の話を小学校の時に教頭先生が話していたのをふと思い出して、それがその時具体的な書きたいと感じていたこと、つまり女性のゆらゆら揺れる心の状態と結びつきました。象徴として表そうというのではなく、これを表すのはこれでしかないという風に断定的に決めちゃう感じです。今『これ』が目に留まったということは、『これ』と『これ』はイコールで結ばれるくらいの勢いで『これ』なんだと。象徴にこの事柄を乗せてみようかなというよりは、まあこれはこれだよね、みたいな(笑)。

そこはもう直感的に。

■鹿目:そうですね。大体そうです。直感で動くので。

先程のバラの話もそうですけど、運命的な考え方をされますね。

■鹿目:例えば、失敗したりとか、ちょっと時間が合わなくて出会えなかったりとか、遅れちゃったりとか、思わぬハプニングに遭った時も、基本的には「こういう人生だったんでしょう」とか「運命だったんでしょう」とか考えるタイプです。それでいいような気がして。そうじゃないと今ここで失敗した意味がないだろうと。失敗したからには、このおかげでなにかが起きるな、と思うタイプです。

ネタに詰まったってことだけはないんです

アイデアがない場合、どのように着想を得ますか。

■鹿目:アイデアが思いつかないことはないです。なにかしら浮かびます。ネタに詰まったってことだけはないんです。

なにか面白いことがあった時に、それを書き留めておいたりすることは。

■鹿目:一応ノートは持ち歩いてるんですけど、メモ魔ってほどメモしないし。何故詰まらないかは自分でも分からないんです。普段ストックしようという頭で動いてもいないんです。なんかね、思うんですけど、受け入れ体勢の人間というか。なんでもそうなんですけど、来るもの拒まず去るもの追わずという性格なので。閉じてる感じはしないです。こうやってインタビューしていただいて、刺激的なことなのでこれもまたどっかで思い出すんです。「そういえばこの時こう思ったな、こういう場面だったな」と、思いも寄らないとこで勝手にリンクしちゃうので、それに助けられてますね。

以前少しお話させていただいた時に、先のことをあまり考えずに戯曲を書き進めるという話をされていましたが、風呂敷を広げ過ぎて収集がつかなくなったりとか、困ることはありませんか。

■鹿目:ならないです。書く前の段階でこういう話になるという話の膨らみというか、『こんな話』になればどの方向に行ってもいいだろうという頭で描いているのがあって。思いも寄らない方向に行くこともあるんですけど、『こんな話』を表す為に行ってる訳だから大丈夫だよなと。思っていたのと違っていたりとか、思いも寄らない人物が思いも寄らない行動を取ったとしても、描きたい『こんな話』の枠内に存在していれば大丈夫だと思っていて。だからプロットは全く書かないですし。

明確にプロットを書くことがなくても、頭の中で大体のものは出来ているのですね。

■鹿目:奇麗に細かくは出来てはいないですけど。感覚としては出来てます。『こんな話』が根底に流れていれば、後は何が起こっても大丈夫って感じです。

一緒にこっち向こ

演出の際に気をつけていることはありますか。

■鹿目:演出意図というか、「今回こういうことをやりたいんだ」ということが分かってもらえるまでは、何度でも役者に伝えます。2004年まではわたし、劇団内においては非常に独裁的な演出家だったんです。それまでは外部演出もさほどやっていませんでしたし、わたしが白と言えば、黒でも白というくらい独裁的でした。こうやってとか、こういう言い方をしてくださいとか形もガンガンつけてたし。2005年くらいからそういうのをやめました。色々な出会いがあって気付いたこともありました。2004年の冬くらいに、刈馬カオスくんに誘われて『恋愛耐湿』という作品で、5年半ぶりに役者で舞台に立ったんです。それで凄く反省しました。なんて鬼みたいな人だったんだろうと。

それはどうしてですか。

■鹿目:役者の時は役者として存在している自分に気付いたんです。刈馬くんには「始まるまでは、鹿目さんが演出に相当口出しするんじゃないかと思ってました」と、終わってから言われました。でもわたし、役者に専念するタイプでして。もちろん考えていて疑問に思ったことは口にしますけど、役者としてこの作品にどう貢献できるかということだけを考えていたので。それでね、シンプルに役者だけをやった時に役者の気持ちがよく分かったんですよ。共演者とも色々話してみて、こんなこと悩んでるんだなとか、演出には言わずに悩んでいるんだなとか、そうやって考えた時に「ああ、なんて鬼だったんだろう」って(笑)。もっと汲んでやれたら良かったと。その時期、他にも色々な方と出会って話したこともあって、ちょっとずつ変わっていきました。その頃からテレビの脚本の仕事をやるようになったのも大きいですね。現在は、こういう目的でこのお芝居を作っていきたいんだということを言語統一ができるレベルまでは、しつこいくらいに伝えます。分かってもらえるまではとにかく粘る。相当粘り強いタイプだと思っています、今は。

どれだけ言っても分からないってことはありませんか。

■鹿目:基本的には分かり合えません。ただ近いところまでは持って来られると思ってます。例えばスタート時点ではまったく反対を向いていたものが、同じ方向のこの辺りなんですよってところまでは共有できる。だけど、さらに細かい、ここなんですよってところまでは、なかなか行けないんです。人間なんで溶け合えない部分は確実にあります。ただ、せめてこの方向なんだということに気付いてくれれば、同じ方向で一緒に楽しんでくれるだろうなって。

それまでは、自分はこちらであると、否応なく役者をこちらに向かせていた。

■鹿目:いえ、向いてなかったんですよ。強引に形をつけていましたが、みんなは主旨に気付いていないまま、形を作っていたんです。つまり、やらされてると思っていた人が何人かいたはずなんです。だけど色んな舞台を見たり、色んな方と話したりする中で、これじゃいかんなと。わたしが演出することで皆の可能性を狭めているんじゃないかと思って。可能性は奪っちゃいけないなと。せめて同じ方向だということに気付けば「こういうのはどうですか」と提示できるわけです。反対向いちゃってる役者に「こういうのどうですか」と言われても全然違うって話になるじゃないですか(笑)。まずは、今回やりたい方向はこっちなんだよと教えるというか。教えるというとおこがましいので、「一緒にこっち向こ」って、背中を押してく感じというか。

そういうやり方にシフトすることで、鹿目さんとしてはやりやすくなりましたか。

■鹿目:はい。我慢が必要なんですけどね。分かってもらえるまではひたすら我慢です。理不尽に怒ったりもしないし、辛抱強く色々な言葉を使いながら、例えばこういう場面があったでしょ、と説明しながら粘ります。だから劇団員が「由紀さんが待っててくれるのが分かるもんだから、なんとか新しい色を出していきたいと思える」って言ってくれた時は嬉しかったです。わたしは今の自分の在り方のほうがいいと思っています。

一緒に舞台を作っていくうえで、相手に求める能力、資質はありますか。

■鹿目:特にないです。どういう能力を持っていてもいいですし、下手でも上手くても構いません。ただ一緒にやるからには妥協はしないというつもりで。まあこんなもんでしょと諦めるのだけは嫌なので、時間がある限りどうやったら良くなるかを考え続けて欲しいと思いますけど、大体の役者さんはそういう人ですし。まあ8割いけたらいいでしょという役者さんには会ったことないですし。だからどんな方でも大丈夫です。

お母さんやめたいと思う

鹿目さんは役者として舞台に立たれることもありますが、どのように役作りされますか。また、役作りの上で意識していることはありますか。

■鹿目:全ては演出から始まっています。劇団を存続するかどうかの会議が、結成8年目の2006年に開かれたんです。『私が30歳になる年に存続するかどうか話し合う』ということが昔から劇団で決まっていまして。1年かけて話し合いました。結果、存続が決まって1年ぶりの新作『にぎやかな崖っぷち』から、わたしも出るようになりました。周りからは作風変わったよねとか、抽象的な部分が多くなってきたよねとか、よく言われるんですが、自分では明確に『変わった』という意識は強くありません。ただ自分に正直になりました。それまでは正直じゃなかったんですよ。たぶん何年も劇団をやってきて、お客さんの期待とか、役者たちの『今回もこういうコメディーで来るだろう』という期待とか、そういうものが蓄積されて、背負っていくうちに息切れしてきたというか。本当はこういうものが書きたいわけではないのに、と。わたしは今の自分に正直にやれてるのかと、2005、2006年辺りに凄く考えて。実際、作品にも迷いが生じてきてました。正直になれるものならなったほうがいいだろうとずっと思ってて。存続が決まってからは、よしここからは正直にいこうと。それからもう一つ気になっていたのが、みんなが「由紀さんの作りたい芝居の為に頑張る」という言い方をするようになっていたんです。わたしは作るなら対等でありたいと考えていた部分があって。しかも恋愛とか人生とかまで逐一相談される係になっていたんです。これはお母さんじゃないかと思い始めてきて(笑)。

お母さん(笑)。

■鹿目:存続を決める会議のどアタマに「わたし、お母さんやめたいと思う」という話から切り出したら、みんな妙に納得してくれて。これからは対等にいくわとか、負けないわとか、いきなりみんなが対等ぶってみたりして(笑)。それからは、本当にラクになりました。対等にいくんだから、自分も顔色を伺わずに、勝手に期待感に呑まれないで好きなものを書こうと思った時に、表現者として自分がラクになったんです。しかし、これはおそらく演出も変わるなと。それまでは劇作の興味が強かったんですけど、段々演出が面白くなってきて。で、出演した方がいいなと。一緒に出れば、わたしは今こういうことがやりたくなってきているんだ、というのが伝わりやすいと思ったんです。私にとって自分の劇団で役者をやるということは、イコール演出の一環であると言えます。もちろんイチ役者として心掛けてることもあるんですけど、根本的にこういう作品が作りたいっていうものの、一番ブレない所にいなきゃいけないと思っています。自分の役がブレてしまったら、出てる意味が全くないので。今回はこの方向だというのを一番理解している役者でありたいなと思います。あ、他に出演する時は違うんですけど。

他に出る時はどのように。

■鹿目:他に出る時はさっき言ったみたいに、イチ役者として。あの、この言い方、非常に危険なんですけど、わたし、なりきるタイプですね。もちろん客観的な自分は持ってるんですけど。以前、松田清志さん作、B級遊撃隊の神谷さん演出の『かぼちゃ』という作品に役者で出たんですが、これがまた嫌な女なんです(笑)。そういえば『恋愛耐湿』も結構嫌な女でした。だけど稽古にのめり込んでいくと「わたし切ないなあ」と、普段からその感情に呑まれていっちゃったりするんです。

その役を貰ってから公演までの時期は、普段も嫌な女なのでしょうか。

■鹿目:いやいや。嫌な部分にも理由があると思いますし。でもその役の価値観のことをずっと考えてたら、その価値観に呑まれるというか。その価値観を持って男の人を見始めたりとか、厄介ですね。で、ある日突然、この声だ、この身体だってピーンと来ます。最終的にはすっかり浸透しちゃって。役によって全然印象違うって、よく言われるんです。『上空劇場、さようなら』という作品では鬼団長みたいな役で、鬼団長をやってる時は、プライベートでも男っぽい喋り方になってしまって。だけど『恋愛耐湿』の時は妙に女っぽかったりとか(笑)。気付かないうちにそうなってるみたいで、プライベートで誰かに会った時に「あれ、この前と印象違いますね」って。あれそうだったっけって。

ずーっと片思い状態です

演劇の面白さとか魅力をどのような所に感じていますか。

■鹿目:掴めない所ですかね。何度やってもしっくりこないんです(笑)。

辛い訳ではないんですよね。

■鹿目:どんなものでも切磋琢磨するのは楽しいことだと思うんですけど。でもなんかしっくりこないと、こう、モヤモヤって。だから続けちゃいます。しっくりくるのが望みだから。

しっくりきたらやめますか。

■鹿目:しっくりきたらやめますね、たぶん。好きな男の人みたいなんです。付き合ってからも、なんかしっくりこないんですよね。自分が思っている答えは絶対くれない、みたいな。男の人じゃなくてもそうなんですけど、例えばなにかをしてあげても、その男の人が自分の望む返事をくれるというと、絶対そうじゃないじゃないですか。芝居にはまさにこの魔力があって。とっても困ります、本当に。ずーっと片思い状態です。

これまでで、一番しっくりに近かった作品はありますか。

■鹿目:『不惑と窓枠の行方』ですね。

劇王の。

■鹿目:『劇王㈸』です。割としっくりに近かった方だと思います。

肯定的な気持ちになれると思います

鹿目さんが演劇で表現したいことを教えてください。

■鹿目:人間そのものというか、内面的なところで揺れる部分というか、そういったものはこれからもずっと書いていきたいなと思います。きっと色々な内面があると思うので、もしくは色々な内面をもって人と接した時に、色々な事件が起こると思うので。人間ってこんなに素敵な生き物なんだということを書いていきたい。人間を絶対に肯定したい。それだけは、確実に。否定はしたくないです、肯定したい。それはおそらく自分の中で普遍的なことだと思います。否定する時がきたらやめる時だと思います。

あおきりみかんの見所を教えてください。

■鹿目:前の項目に繋がりますけど、観たら「これでいいんだ」とか「このまま進んでいっていいんだ」とか、肯定的な気持ちになれると思います。あおきりみかんを観に来てくださればきっと、人間で良かったとか、生きてて良かったとか、そんな気持ちを感じられるんじゃないかなと思います。

ありがとうございました。

■鹿目:いえいえ。ありがとうございました。