小林正和さん
『彗星'86』『プロジェクト・ナビ』『avecビーズ』と30年以上に渡って活躍されている、俳優、演出家の小林正和さん。とても実直で優しい方でした。また、ユニット・トラージの制作で、今回のインタビューの際にお世話になった土居辰男さんにも同席していただきました。
休ませてください

まず小林さんが演劇を始めたきっかけを教えてください。

■小林正和さん(以下小林):それはですね、大学に入ってから、たまたま演劇サークルに入っちゃったんです。凄くやりたいってことじゃなくて、たまたま新入生歓迎のとおりゃんせみたいな道がありまして、通らされる訳ですよ。もういい加減疲れきった所に大学の演劇サークルがあった。休ませてくださいって言って。はい名前書きますって言って、ちょろちょろと話して、ここでやってるよって話をして、はい分かりましたと言って。なんというか、たまたまそこが優しかったんですね(笑)。たまたま教室に顔出しちゃったんですよ。

それまでに演劇経験はなかったのでしょうか。たとえば小学校の学芸会で大役をやっていたとか。

■小林:Aチーム、Bチーム、2チームあって、悪い方のBチームに加わってましたから(笑)。親には見せられないようなBチームでやっていたので、小学校の時は全然なかったんですけど、中学校の時になんの発表会かは忘れたけど、芝居の発表が。『ひこいちばなし』をやって、天狗の蓑を被るとどうこうという、それに選ばれたんですよ。4、5人の芝居で。なんでか知らんけど。

その経験が後の演劇サークルに影響したということはありませんか。

■小林:全くないと思うんですけど(笑)、でもその一緒にやった5人の中に伊沢勉ちゃんもいたんですよ。だから因縁といや因縁。伊沢勉ちゃんか、もしくは演劇に対する。それが忘れられなくてということでは全くないんですけど、因果は感じます。

全部潰してるんですよ

演劇サークルに入ってから、現在に至るまでの経緯を教えてもらえますか。

■小林:大学普通に行ったら4年ですけど、5年かかってしまって。演劇を選んでしまった為に。その5年目の時に演劇サークルを潰しちゃったんですよ。後輩がいないので。潰しちゃったけれども、もう一本やりたいなということで、大学を卒業する直前くらいに『メリーベル』っていう、今で言うユニットを作って、一本限りですけど、芝居を作って七ツ寺でやったんです。

メリーベルというユニット名なんですね。

■小林:そうです。七ツ寺の資料を調べると載ってるんです。その時にも勉ちゃんがいるんだよね。また伊沢さんもそのユニットに何故かいる。その時は東京にいたんですけれども。一時里帰りですね。ぼくん家の下宿に居候してた。それが3月にあって、おめでたく大学とはおさらばしたんですけど、その時に二村さんと知り合ったものですから、しばらくブラブラしていたらそこに七ツ寺の改修工事があって、そこに呼ばれたんです。ぼくとまた伊沢さんと、もう一人小林という人と、赤染歌丸さんというのが率先となって駆り出されて。まあ大学卒業して暇だったんで。飯食わせてやるからって、一応バイト代も出たんですけど、1日2000円。安いですよね(笑)。2000円プラスご飯。おかずは自分で買って来い。それで改修工事が2週間そこらあって、そこでお昼ご飯食べてますと、北村想さんも近所に住んでて。近所に執筆部屋を借りてて、割と寝泊まりしてたんですよ。それでご飯食べに来て一緒にご飯食べてたんですよ。その時に誘われたのかな。赤染歌丸さんの公演で『火の日の事件』というのが北村想さん作、赤染歌丸さん演出で、それにまず誘われたんです。

それは役者として。

■小林:役者として。はい。それに誘われて。『彗星'86』の旗揚げに参加することになったんです。その辺はズルズルと。結局は。それから彗星'86が潰れて、『プロジェクト・ナビ』になったんです。彗星'86は発展的解消ということになってますけど、まあ潰れたんです(笑)。プロジェクト・ナビが十何年続くんですけど、潰れて、『avecビーズ』になった。続きじゃないんですけど、その中の有志が。女の子中心に。実はavecビーズにはぼく参加してないんですよ。客演ばっかりで、準劇団員。役があれば出るよということで。avecビーズは演出助手で参加してるだけなんです。まあ、体よく使われてます(笑)。ですから、ぼくは劇団員であるんですけど、劇団員を辞めたことは一度もないんですよ。

潰れてる(笑)。

■小林:全部潰してるんですよ。avecビーズに入るとたぶんavecビーズも潰れちゃうんじゃないかと(笑)。

その場限りのはずだったんですけど

演出はどういう経緯でされることになったのでしょうか。

■小林:メリーベルの時に演出をやってたんです。それは大学生の時で、まだまだ学生劇の延長ですから。演出というものを目指していた訳じゃなく、役者がやりたくて芝居やっていたので。プロジェクト・ナビの研究生公演というのがあって、演出を飲んだ勢いでやることになっちゃったんです。それがプロジェクト・ナビの演出の最初ですね。それがあって、全然演出希望じゃないからなかったんですけど、想さんが想流私塾というのを伊丹でやってるんですけど、その前身が名古屋で一回やったことがあったんです。若者集めて。その発表会が5人くらいいて、一本づつ書かされるんですけど、その演出を任されて。それが二回目です。

そういう経験が積み重なって演出もやるようになった。

■小林:その場限りのはずだったんですけど。

演出するうえで気を付けていることはありますか。

■小林:ぼくはなるべくね、役者ですから。演出受けてて困るのは、抽象的に言われると困るんですよ。だからぼくは具体的にここの所の言い回しを早くしてくれとか、いちトーン高くしてくれとか、できるだけ分かるように説明しているんです。言われて困らないように。

例えば早くするという場合、その理由も一緒に説明しますか。

■小林:できる限り言うようにしています。例えば『アチャコ』のリーディング部分で言うと、男の台詞、女の子の台詞があるんですけど、地の文章と会話文は別物だから差異を付けるように。地の文章の時はじっくり読んで、会話文は普通に会話するような早さでいいから。そういう風に。

一緒に舞台を作るうえで、役者に求める要素はありますか。

■小林:それはないんですよ。ただ今回の舞台でいっこだけ気を付けたのはバランスなんですよ。5人なら5人揃った時の。似通ったタイプばかりが集まっちゃうとちょっとまずいなと。

座組全体のバランス。

■小林:そうですね。バランスさえ合えば、ぼくは誰それがどうとかそういうことは言わない。

ラジオドラマの手法なんですよ

演出をしていると、衣装なり小道具なりに関わる部分はあると思うのですが、そこでのこだわりはありますでしょうか。

■小林:なるべくシンプルに。プロジェクト・ナビの研究生公演の時も、海の家があって、縁台を一個。寂れてて人がいない。剥き出しの舞台に簾をかけたとか、そのくらいです。あんまり舞台の装置にお金をかけるよりも、役者がメインに立って。だからなるべく少ないほうが。あると一所懸命それを使おうとか、やましい心が出ますよね。なるべくそういうのは排除というか。

素舞台はどうでしょうか。

■小林:素舞台はまた難しいので。そういう台本なら素舞台でもいいんですけど。台本によりますね。素舞台でもいい脚本というのもあると思いますし。

アチャコでは北村想さんの本を演出されたということで、北村想さんの本だから意識したというような部分はありますか。

■小林:アチャコは歌があったり踊りがあったり殺陣もあったりするんですけど、そういうのは想さんの昔の本なんですよ。自分でもなんでか知らないけど染み付いてるので、それが出て来たというのがいっこと。問題はリーディングなんですよ。

長い。

■小林:長いリーディングがあって。それは想さんがよく使うんですけど、ちっちゃい声で喋る。それはね、同じく使わせてもらっていますね。

それはどういう意図で。

■小林:ラジオドラマの手法なんですよ。ラジオドラマはマイクがいいものですから、小さい声で、ウィスパーで喋っても全然拾うんです。大きい声で喋ると失われる微妙な感情の流れというのが、無理しなくていいから、声に乗っかるんです。微妙な感情が。想さんもそういうのを知っているので、わざと小さい声で読ませたりするんですけど、想さんの場合は大きな劇場でやったりするものですからピンマイク付きますよね。でも我々の場合はピンマイク付かないので、地声でやれということで発声練習もやってるんです。それくらいのことはやってちょうだいと。

確かに稽古を見させていただいて、非常に小さい声だなというのは感じました。意図的にされていたんですね。

■小林:意図的ですね。小さい声のほうが微妙な感情が乗っかってくる。

声先行

小林さんはどのように役作りされますか。

■小林:ぼくはですね。読んで、例えば映画俳優でいうと誰だろうとイメージして、自分がやってみる。それをやっていくと、ぼくはその人じゃないものですから、例えば三船敏郎とか思うじゃないですか。でも、ぼくが三船敏郎でやったとしても三船敏郎じゃないものですから、矛盾が生じてくるんです。その矛盾を自分なりに解消していくと三船でもない、自分でもない中間みたいな人物が出来上がる。それが出来た時に、三船でもない自分でもない人物が勝手に動くというか感じ始めた時にこれはいけるなと。という風にやってることが多いです。でも最近は人物を作る前に、発声してみて、声で人物像が出来てきたりするんですよ。声が出来ると、その人物が勝手に動き出す。すると、OKかな。声先行みたいな。

この役はこのくらいの音程で喋るのかな、とか。

■小林:この音程メインで、上下していく。

それを演出で役者に指導することはありますか。

■小林:土居君には言ったかな。稽古の途中で出した声が「これ使えるかな」と思ったので、それでもうちょっといってみてと。だからそれも役作りと言えば役作りですよね。

台詞を覚えられる限り

演劇をされていて楽しいこと、辛いことがあれば。

■小林:辛いというのはあんまりないんだよね。

■土居辰男さん(以下土居):葉っぱ取りとか。

■小林:そういうのね。寂しくひとりで笹を拾ってました(笑)。

■土居:ぼくがやるって言ったじゃないですか(笑)。

■小林:孤独な作業でした。それは辛いと言えば辛い。楽しいのは終わってお酒飲む時。この為だけにやってるのかな。一日一日ありますが、特に打ち上げですね。

これまで演劇を続けてこられた原動力はありますか。

■小林:気が付いたらそれしかなかった。愕然とします(笑)。ある日、芝居の打ち上げがあって、帰って行くときの電車を待っている時に、海外青年協力隊募集のポスターがあって、「こんな生活やめて海外にでも行くか。こういうのもいいな」と、打ち上げの直後なのでパーッっとなってるんですけど、募集人員、なんとかの資格、なんとかの資格。いっこもあらへんがな(笑)。それはもう愕然と。俺はなにを。世間から求められていない人物なんだと、ザーッと楽しい気分が引いていくんですよ。もう芝居しかないと、その時思いましたよ。

小林さんいまおいくつですか。

■小林:52です。もう35年くらいですか。最近思うのは、芝居というのはいくつまで出来るんだろうかと。70くらいでも台詞覚えられるんだろうか。あと20年くらいじゃないですか。1年に一本のペースでやってもあと20本くらいじゃないですか。そうしたらもうカウントダウンですよね。だから一本一本きちんとやろうと、この年になると思いますよね。これまでなんてちゃらんぽらんにやってきたんだろう(笑)。

目標としてはいくつまで、というのはありますか。

■小林:台詞を覚えられる限り。お荷物になったら嫌ですからね(笑)。

今日は本当にありがとうございました。

■小林・土居:ありがとうございました。