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齋藤啓 さん

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杉山さんよりご紹介いただきました齋藤啓と申します。鳥取県に住んでいて、昨年末までは鳥の劇場に所属していました。
杉山さんからいただいた二つの質問(「制作に対しての齋藤さんのこだわりはなんですか?」「様々な表現活動やエンターテインメントが溢れる現代において、演劇を鑑賞される人は少数派だと思いますが、あえて演劇である理由はなんでしょうか?」)について考えながら、自分の仕事のことを書いてみたいと思います。

私が演劇に関心を持ったのは高校生の時で、演劇部ではなかったのですが学園祭で上演したり、小劇場の公演を観に行ったりしました。私は東京で生まれ育ったのですが、当時は小劇場がまだ若者カルチャーの一端を担っている雰囲気があり、劇場に行くことで自分の知らない世界に足を踏み入れるような感じがありました。
大学では、イギリスに行きました。演劇を勉強するためではなかったのですが、たまたまその大学に演劇の学部と劇場施設があり、劇場でプロの現場を体験できました。また、学生劇団でエジンバラ演劇祭のフリンジに参加し、一ヶ月近く公演したのも大きな経験になっています。何よりも、演劇に関わることで大学の外の世界に触れることができました。
大学を出て、ちょっとしたブランクの後に鳥の劇場の前身であるジンジャントロプスボイセイという劇団に入り、アルバイトをしていた照明会社の社員になりました。この時点では、まだ制作の仕事をやったことはなく、照明以外に演出をやったりもしていました。照明会社に就職したのは、とにかく仕事としてやらなくては、という気持ちがあったからです。演劇を自分の仕事にする手っ取り早い方法として、舞台で働いて給料をもらう環境を選んだわけです。照明会社での仕事は、演劇からダンス、コンサート、イベント、展示会と多岐にわたり、必ずしもやりたい現場ばかりではありませんでしたが、舞台で仕事をするという点では実に多くのことを学ぶことが出来ました。一方の劇団活動は、照明の仕事が忙しく、公演の時だけ手伝いに行く幽霊劇団員のような関わりでした。
2006年、鳥の劇場の立ち上げに参加するため、会社を退職し、鳥取に移ります。劇団の仕事が自分の「仕事」になり、「やりたいこと」と「やらなくてはいけないこと」が本当の意味で一致したことには、喜びと安堵感がありました。本格的に制作をやるようになったのもこの時からで、5年目くらいからは制作専任になりました。
鳥の劇場は劇団ですが、劇場を運営していて、演劇祭もやっています。活動の幅が広い分、制作の仕事も幅広い。話す相手も、行政やまちづくりの関係者、学校の先生、他の芸術分野の人など、いろいろな人がいました。同じ地域内に他のプロの劇団は実質的に皆無で、制作的なことをしている人も少ない。地域の人たちに対しては、制作と言うよりも、鳥の劇場のスタッフです、と言った方がわかりやすいと思います。こういう、標準的な劇団制作とは違う環境で仕事を始めたのですが、結果的には制作という仕事の間口の広さと奥深さを体験することが出来ました。
もうひとつ、鳥の劇場での活動を通じて感じたことは、演劇や舞台芸術における「場」の重要性です。鳥の劇場を立ち上げた当初、借りた場所(使われなくなった幼稚園と小学校の体育館)は、あくまでも自分たちの稽古場と上演場所という位置づけでした。しかし、場所があることで活動の可能性が広がり、その場を「劇場」として意識するようになりました。演劇(舞台芸術)には、時間的・空間的な制約が多い。美術作品のように好きな時に観ることが出来ませんし、音楽や映像作品のように家で楽しむことも出来ません。しかし、裏を返せば、上演が行われる場所にすべてが集約され、それだけその場所が魅力的になるということでもあります。そして、観客をはじめ、そこに集まるさまざまな人の存在を通して地域や社会とつながっていくのだということを、強く実感しました。

では、改めて杉山さんからの質問に戻ります。
制作という仕事に対して、今一番こだわりたいと考えているのは、広く全体を見渡す視野を持つということと、専門性を追い求めることのバランスです。全体を見渡す視野というのは、一つの公演(現場)単位でも必要になりますし、もっと広く社会的な視点を持つということにもつながります。杉山さんが書いておられた「三方よし」の考え方とも共通するところがあるかもしれません。また、劇場は仕事のデパート、という表現を聞いたことがありますが、舞台に関わる仕事はそれほどに多種多様です。社会的背景の変化によって、常に新しい役割も生まれています。特に、制作と呼ばれる役割は幅が広く、私自身、鳥の劇場の活動を通してそれを体験してきました。それらを何でもこなせるのも素晴らしいのですが、ひとつの専門性を掘り下げていくことも大切だと今は考えています。
また、「あえて演劇である理由」ですが、やはりその時、その場でしか体験できない表現だからでしょうか。一度に観劇する人の絶対数は少ないですが、観客となる人の範囲が限られるわけではありません。劇場という場があることによって、多くの人のつながりが生まれます。劇場にとっての観客は、今この瞬間に客席に座っている人たちだけを指すのでなく、その向こうにいる、やがて(いつか)観客になる人たちを含むのだと言うことは、鳥の劇場での仕事で発見したことです。演劇や舞台芸術の可能性はとても大きいと思います。

鳥の劇場を離れましたが、今後も制作の仕事を続けていきます。また、舞台制作者のネットワーク組織、ON-PAMの活動にも継続して取り組んでいきます。鳥取に制作の同業者がほぼいない中、この活動を通して全国の制作者たちと話をすることで、自分の仕事を見つめ直すことができました。ON-PAMについて書く余裕はありませんが、ぜひウェブサイトをご覧ください。
http://onpam.net/

次の方をご紹介します。ON-PAMでも一緒に活動している、斎藤努さんです。努さんは、大阪や東京での仕事を経て、今は出身地である高知を拠点にされています。
質問ですが…
先日、妻と話をしていて、「舞台芸術の世界では東京以外の地方での活動が本当に増えたなあ」というようなことを言ったら、「東京とか地方とか、分けて考えなくてもいいじゃない。私たち、今は鳥取に住んでいるんだから」と言われました。鳥の劇場の活動でも常に東京を対極と考え、非東京モデルの最先端を目指してきた感があります。そうすることで活動の推進力を得たのも事実ですが、ある時点からはそれほど重要ではなくなっていたのかもしれません。
「演劇制作の仕事で、東京と地方を二項対立的に分けて考えることは有益だと思いますか?あるとすれば、どんな局面でしょうか?」
よろしくお願いします。